『名もなき肖像』



ktkr! これなんて恋愛成立フラグwww

バクバクと高鳴る心拍数。
胸の前で抱えた、買ったばかりの黒い通学かばんをギュッと握りしめて。
あああとちょっと。あとちょっとで僕の前に夢の学園生活が花開くんだ。
散り桜が鼻をくすぐるかのように目の前を通り過ぎる。
ふ、と詰めた自分の息。今ここで気付かれるのは、まずい。
バレてはいないことを確信しつつ、それでもチェックは怠らない。
すぐにでも確認しなけりゃ、このまま膝から力が抜けそうだ。正直、腕はもう戦慄いてる。
ちらり、と一瞬覗いた先には相変わらずの光景が広がっていた。

そう、群がる悪漢たちに気丈そうに振舞いつつも困り果てているであろう女の子が。

ここだ、ここで踏ん張れば。何のとりえのない僕にだって女の子と仲良くなれるんだ!
だから此処でカッコよく一歩踏み出しさえすれば良いんだ、わかってる。
だってもうベタフラは今朝から幸運にも立ってるんだから。


◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   


『ドテーンッ☆』

「アイタッ。ちょっとアンタどこに目ぇつけてんのよ――キャアアッ」
「え、ちょ僕まだ何も……!」
相手の顔もよくわからないままに、悲鳴と共に左頬にやってきた嬉しくない衝撃。
ストレートビンタが一発。それも者間距離一メートル以下で放たれた、んだろう。
頭から斜め横にスライディングして地面スレスレを間近に経験した直後の人災だった。
「へ、変態! スケベ! もう、朝からサイッアク! このチ――」
「め、眼鏡眼鏡……」
遠慮ない物言いも、こっちの顔を見てさすがに止まったんだろう。
僕は地面に這いつくばって、手をざらざらなアスファルトの上で動かしている。
あれはどこに行った。正直、ぶつかってきた相手に文句を投げつけるより先に見つけなきゃならない。

『スイッ』

不意に額近くで黒い歪なモノが現れた。受け取り、それを両耳に掛けるとぼんやりしていた視界が開ける。
その先にはバツの悪そうな顔をした、女の子がいた。しかも見知ったセーラー服姿の。
「わ……悪かったわね。目が悪いのに、ぶったりして」
「あ、いや……その。こっちとしても、ごめん」
彼女の中で疑いは解けたらしく素直に謝ってきた。ぶつかられたことより、スカートの中身のほうが気になっていたらしい。
スカートの中身。はっとなり、向けた視線の先は既に固いガード済み。往来の真中だというのに彼女は正座していた。
でもその短いスカート丈で、膝上のふとももがちらっと出ていた。それを楽しむ暇はなかった。
すっと立ちあがる少女に、慌てて僕も立ちあがった。じっとしていたら、スカートの揺れを追って本当に痴漢になってしまう。
それもあったが、なにぶん人と人が往来でぶつかるということは。それだけ誰しもが急いでいる時間だというわけだ。
授業開始までに余裕はない。
僕も彼女も、無言で学校までの道のりを急いだ。互いへの認識を、一瞬にして街中の喧噪に捨て置いて。

ただ、僕は教室への駆け込みに間に合った後。そういえば今朝のあの子、可愛いかったなと――安心してから、思い出したんだ。


◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   


そう、まさかの展開だ。通学途中にぶつかった女の子が学校の不良に目をつけられて困ってる。
ここであの中に飛び込めば……あいつらに勝てなくても、あの子に良い印象を与えられる。
フルボッコで満身創痍になっても、身を呈して自分のことを庇ってくれた男子を、どうして意識しないでいられる?
中学のときによく図書館で借りて読んだラノベでもあるじゃないか。
これは王道ラブストーリーってやつ。細かい動機付けとか展開はともかく、ざっと起承転結を並べるとこうだ。

起、起き上がり。ある日、主人公とヒロインがぶつかったりして印象悪めの出会いを果たす。
承、伏線の準備。悪い男に絡まれるヒロイン、身を盾にして庇う主人公。それを機に距離を近づける二人。
転、物事の逆転。ヒロインからのまさかの告白!
結、物語の収束。主人公とヒロインの想いが通じ合って両想いになる。

ここでミソなのは、最初は酷い出会い方でも構わなくて運動能力が低くても良いってことだ。
むしろ、このほうがお得なんだ。普通よりも最悪だと思ってた相手に救われたほうが胸にぐっとくる。
しかもバリバリの格闘家にピンチを助けられても、自分も何かのついでかもで済まされる可能性が高い。
でも、弱いのに殊更庇うなんてことになれば、どうなったって何か自分を庇う特別な理由があるって思われる。
負けるのが正義。そっちのほうが後々を考えればよっぽどトクってもんじゃないか!
よーし落ち着け自分。こうしてる間にもちょっと出遅れ気味だけど、まだ決定的瞬間じゃない。
あの子と不良たちはまだ口論してるレベルだ。大丈夫、主役は遅れてやってくる。

でも。腕はわなわな、足はブルブルと震えて……歯に至ってはガチガチと情けない音を鳴らして。
動けなかった。動き出せなかった。痛いのはイヤだ、怖い。
今朝だって顔面スライディングしそうになって未遂だったけど一瞬でどっと冷汗をかいた。
そんな今じゃ、身動きするのは片足の重心をずらうことすら億劫だ。金縛りにあったかのように、足が痺れて重い。

『ジャリッ』
「おい、一年生。そこで何して――」

足元で聞こえた音から今立ってるのは石砂利の上だと再認識した、そのとき。
向かいの廊下を渡ろうとしていた新任の体育教師に声を掛けられた。
相変わらず冷汗と動悸の激しさが引っ込まない。
そのせいか、僕は妙な考えを起こすと同時に実行していた。
教師なら……今時、体罰なんてしない。だから、痛くない。
だったら。

『ヒュッ……カララン』
「コラアアッ!」

辺り一帯に低く轟いた怒声。
ひ、と僕は小さく息を飲んだがそれでも謝らなかった。
あの子は今どうなってる? ばっと胸の前で組んでいた腕を解く。
力が抜けきっていて、バランスが崩れると通学鞄が地面に落ちた。
大丈夫だ――不良の一人に肩を掴まれたまま、その場に全員固まっている。
彼女に触れていない不良の数人が近かったぞと慌てたような声を出す。
あっちは一時停止。こっちは、フリーズしてる猶予なんてない!

「さっきのはどういう了見だ!」

ずんずんと、早足で立ち止まっている僕に近づいてくる教師。
まず間違いなく、逃げれば追って来る。
僕は不良たちと彼女のいる方角へと走って逃げ込んだ。
突然の闖入者に揃って顔を向ける不良たちも、今となっては怖くない。
すぐ教師が駆け込んでくるからだ。
後ろの鬼のことを考えれば不良なんて龍でも虎でもない。

「おい、待たんか!」
『パシッ』
「……ん? おい、お前たち。こんな時間まで何してる」

不良たちとあの子の前で僕はすぐ捕まった。
痛くされないと思ったのに、肩を掴む手がやたら食い込む。
しかしそれもすぐに弱まって僕は解放された。
新入生の女の子一人と、上級生の男が数人。体育館裏手。
その条件で、まさか部活の部員勧誘が行われていたとは考えにくい。
出てくる結論は自ずと絞られてくる。しかも悪い方向で。

「部活じゃないなら、さっさと帰りなさい。下校時刻だ」
「あ、はい。あたし――先生、さようなら!」
「はいさようなら。事故にあわないよう気をつけるんだぞー」

何一つやましいことなどない彼女だけが、ぱっと踵を返して消えた。
その姿を遠くなるまで見送ってから、教師は改めて僕に声を掛けた。

「それで? 石を投げたワケは後でキッチリ職員室で聞こうか、山根」

は、はは……さすが新任とはいえ一教師。担任でもない生徒の名前まで暗記してらっしゃる。
僕は大人しく職員室まで連行された。そのほうが、不良の前から安全に去ることが出来そうだという計算も働いて。
そして、ただ一言。男としてわからないでもないが、もうちょっと情けなくない方法をとれよな。
そう軽い忠告と励ましのような背中への一発があっただけで、僕は職員室を後にすることを許された。


◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   


「卒業生、入場」

そのまま、一度の釦の掛け間違いは直されることもなく高校時代は終わりを告げて。
クラスでの付き合いや部活なんかで、友人もそれなりに出来たし女子との会話も幾らかあったけど。
肝心のあの子との距離は、全くと言って良いほど縮まることはなかった。
三年の間、全く同じクラスにならなかったのは単に運がなかったんだろう。
移動教室によるクラス混合でも、科目選択でも、進路選択でも。どれも、交わることのなかった道筋。

「国歌斉唱。皆さん御起立願います」

もともとの性格も手伝って、僕は地味な男子だったし出来る友人もクラスで音頭をとるようなタイプじゃない。
何かの強力な偶然やハプニングが起こらない限り、狙って女の子と近づくことは成功しなかった。
たくさんの人が行きかう往来で同じ学校の異性とぶつかるなんて、天文学的な確率にでも頼らない限り、チャンスはなかった。
一度起こった偶然が、また起きるんじゃないかって期待して。
僕はそれとなく、ずっと気にして。気にかけていたら、一方的すぎる片思いをしていた。
きっとあの子は、とっくの昔に僕のことなんて記憶から末梢してるんだろうな……。

「来賓祝辞。卒業生、起立。礼、着席」

式の進行なんてどうでも良い。なのに耳へねじ込まれていくのは、あの日の教師の声だからだ。
そう、あの日。僕が助けていたら、彼女は簡単に僕のことを忘れたりしなかっただろう。今とは大きく違って。
だけど、もしあのとき……なんて、無駄な思い煩いなのに何度繰り返してきただろう。今まで。
これはフィクションじゃない。いくら頭で想像して過去を捏造なんて出来なかったんだ、SFじゃあるまいし。
殴られる痛みも、物語では暴力表現だからと省くことは出来ても結果として庇ったことで深い傷は必ず背負わされる、主人公に。
僕はそれを恐れて。現実での行動と、架空の物語を楽しむことの違いをあのとき理解してしまっていたから、無鉄砲には成れなかった。
その結果だ。
あの子に近づく絶好の機会を自らふいにしてしまったんだ、あのとき。
折角チャンスを作っても、生かしきることを自分から放棄してしまった。
だから、なのか? あの女の子が遠い。全く会話をしたことも名前も知らない他の女子生徒よりも、ずっと。


◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   


卒業式は滞りなく淡々と進み、クラスでの担任との最後の別れというやつもたった今終わった。
女子の半数は式の最中から相変わらず。号泣したり静かに泣いたりと違いはあるが感極まった様子だった。
でも男子はといえば、たいていは飄々としたものだ。また明日とかお決まりの文句を告げてクラスを去っていく。
そりゃそうだ、卒業式は三月の頭。本格的な受験はこれからで、進路が確定している人間はそう多くない。
勉強の追い込みや結果報告なんかで、場合によっては毎日学校に通いつめる奴だっている。
これで泣くやつなんて、男子にはいなかった。常々、卒業式で泣く生徒の気持ちは理解の範疇を越える。
卒業式なんてのは、泣くことより――告白とかのイベントだろ?
クラスを後にするのは早かったくせに廊下や校庭でたむろしてる男連中は大方、女子に声を掛けられることを狙ってる。
だけどこれに関しては、女子の狙いも半分は一緒かもしれない。卒業式に便乗して、何か起きないか待ち伏せてるのかも。
まあ、どっちにしろ。僕は、あの子だけを目で探す。もしこの近くで見かけられたら、そんな偶然が起きたら。

「あ……」

彼女は、いた。でも僕からは遠いままだった。
人垣がある。見つけられたのは、僕が他人より少しばかり背丈が上だったから。
でもそれ以上に見せつけられたのは、非物理的な距離。
あの朝の女の子は笑っていた。よく行動を共にしているらしい女の子たちと一緒に。
その瞳の先に、あの教師を映して、とても楽しそうに。
廊下のざわめきで、話し声なんてロクに聞き取れやしない。
それなのに、何故か。決定的な一打だけはわかってしまった。見つめているだけで、耳に届く。

「お世話になりました。あたし、先生のこと大好きでした!」

くるりと、僕はすぐに背を向けて近場の階段から駆け降りた。
なるべくそうならないよう抑えこもうとしていたのに、両足は急いて。
もし、教室を出てから。そうさして移動することもなく、あの子を見つけられたなら。
せめて告白だけはしようと考えていた。両想いに、なんて高望みは叶わないとしても。

「でも……くそっ。もう無理だ」

あれは、異性間であれども教師と生徒としての好意だと。わかっていても。頭ではそう理解していても。
あれを聞いてしまったら、とうとう認めざるを得なくなった。
あの子にとって、自分は名もない人間に過ぎないのだという虚無感。
対して、教師は彼女の心を幾分かでも占めていたという事実。
告白して直接、想いを断られるよりも。そう内心で悟ってしまったことのほうが胸に痛かった。





あの日、手のひらから零したのはきっと、僕自身が輝くための欠片……。
大事な欠片を逃した代償に、僕は無題と名付けられた絵画たちの深さを感じるようになり。
そうして僕の恋は、呆気ない終りを迎えたんだ。


── THE END. ──

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あとがき。

んー、まあかなり淡白な描写といいますか。
どうにも、あっさりした恋愛模様は肩に力入れてたら書けないんじゃないかなということで。
人物に感情移入できる部分を作ってません。まあ、観念的な説教くさい話なんですけど。
あと、ラノベ風味から抜け出したいというのもありまして。そのためには、キャラ小説化しないということが重要らしいのです。
背景と切り離せないキャラにするには、個性的な人物であってはならないと。まあ、つまり二次創作に使えないキャラ性。
そういう方面でも、これからは小説を書いていきたいなあ。
(まあ、冒頭の王道ラブストーリー系恋愛フラグのクラッシュというネタを生かしきれてない感は否めないけれど)
非ラノベ化という路線での批評とか感想があれば、是非とも教えてもらいたいです。^^

あー、そうそう。ときたま展示会場とかで、タイトルのつけられてない絵画とか見かけたりしませんか?
なんかこう、「これ何を描いたのかな? 生き物か風景かもわかんない」っていう、超・抽象的な絵とか。
あれって、つまり見る人のそのときの心次第で幾らでも受け取る意味が異なるようにという仕掛けなのかなーって。
「名付ける」っていうのは、イメージの固定化です。作品に名前をつけたら、ある程度は方向性が定まらざるを得ない。
人生経験を得るごとに、物の見方が増える。さしあてる定規の本数や形が増えていく。
あっさり気味でも、どうしようない壁を感じて失恋することで得る価値観もあるのではないかとね。
沈黙に、語られない言葉に。どれだけの重みや深さがあるか、肌で想像し感じること。体得していくか。
経験を積んでる人ほど、行間を読むことに長ける。最終的にそのステップアップを自覚するまでの過程を描いた物語でした。

2009/04/01 笹木香奈