一、枕に始まり朝の挨拶に終わる 「んみゃぁ」 白いネコが一匹、木の枝の上で尻尾をふらふらさせながら初鳴く。 季節のうつろいは夏へ。朝、日は昇りカラカラと笑む。 情熱の女王が今僕らに微笑んだって、それは皮肉かい。 不信者の詩人は丸みを帯びた三本線の弦楽器をかき鳴らしそう謡う。 けれど彼は冒険者。旅をするのは詩人と同じだけれど── 起こすべき行動は悲しいかな、いつも人に仕立てあげられる。 仕事をするにも受け身、それを賞賛されるも物語を語りつぐも、他の行い。 それにちょっと足掻いてみてるのか、さる冒険者。 詩に出来ないような怠けをしている。 そう、枕に頭を載せてすーかーすーかーと鼾をかいて寝るなんて。 宗教に対して敬虔な信者も不信者な詩人もこれには呆れちゃう。 さあ起きろ間抜けな冒険者、今の君は依頼を受けた身だろう。 高みからのわらいが友好的なものじゃなく、嘲るようなもの。 それに気づいてようやく枕をした冒険者は薄い瞼をこじあけた。 「……んー、朝…………かな」 起きて身体の下に敷いていた外套と枕の土を叩きながら。 ふあぁと口許に手を翳しながら大きくあくびをした。 頭をふるふると振り、暫く土と草以外に何もない街道を見つめて。 日陰を与えてくれた野宿の宿主を見上げ礼をいう。 「ああ、ありがとね……ネコさんおはよ……」 少し、しゃらっと木の葉が揺れた。風もない日に鳴る木鈴の音。 精霊の声と白ネコの返答に冒険者は少し笑む。 太陽のからかいが狂うほどになる前に、蜂蜜色の髪の彼は木陰から去った。 涼しげな表情の中で大人しそうにセピアの瞳が佇んでいるけど。 麻で出来た枕をしまいながら街道を往く。 その姿は少々、いやかなり……間が抜けたヤローに見えた。 誰にとって幸いか、彼の道中すれ違う者は枕をしまってからも久しくいなかった。 右手のひとさし指にある発動体の指輪があけぼのの光を反射して煌めく。 ズレていながらも、そこそこの魔導師ライト・フェグ=ロートル。 宗教国家ムーランヒの街道をうだりつつも南下、主都セウタギエを目指していた。 依頼内容は荷の護送兼それを狙う敵の捕獲。 まだ明け切らぬ大気に包まれて呑気に流行り唄を歌いながらの事だった。 |
二、囲まれる事に始まり祈りに終わる。 「やあ、いきなりピンチだ」 生来もつ呑気な気質ゆえ呟きには欠片も緊張感がないが、端からみて事態は深刻。 一人、誰ともすれ違わず街道を往く魔導師の周囲には現在森が広がっている。 その奥から、彼を取り囲む者たちがいるのを木霊に教えられた。 出されるであろう選択肢は二つ、自分の持ってる選択肢は一つ。 おそらく、この三つの選択肢はどれも重ならないだろう。 捕らえる立場が逆転してしまうだろうから。もとより交渉の余地はない。 さてどうでるべきだろう? 魔導師は、接近戦には強くない。 魔法を発動させるには精神集中をしなければならないのだ。 呪文を唱えてほほいのほーい、で出来る程甘くはない。 膨大な魔力を身に宿しているか、精霊か神の寵愛がない限りは。 今のところそんな存在は二人ほどしか、この魔導師は知らない。 ルフェイン国前女王エシェア=ウェルハンカ=ルフェイン。 そして彼女の娘フェシミナガル=ウェルハンカ。 おそらくは亡くなったフェシミナガルの兄も、生きていれば名を連ねていただろうが…… ヴァリ大陸において、国を統べる王家は膨大な魔力を持つのが特色高い。 その中でも群を抜く存在。そして国柄自体、魔法が盛んな一国。 だからここ近年、ある一節が魔道に関わる者の間で少し流行っていた。 「偉大なるエシェア陛下とフェシミナガル陛下のご加護がありますよーに」 そう呟いて見上げた天に十字を切る。これが安易なようだが少し効果がある。 簡単に直せば尊敬してます、だから私の魔力底上げしてねー、である。 十字を切ると、空に隙間が開けてそこから彼の人の力を注いでもらえるという。 前女王は故人であるから実際、そう言えば加護をもらえるのかもしれない。 まだ生存している現女王の加護は、彼女の圏内には望めないだろうが。 だがそれはそれ。彼女は前女王の娘。親心に自分の子供を誉められて悪い気はしない。 よっぽどの事がない限り、娘を思えば威力倍増のはずである。 と、意外とある程度根拠に基づいてこの一節は流行っているのであった。 せこい、せこいぞ何だか。それで良いのか自国のプライドはないのか。 「うん、これで良し。さーて一仕事やっちゃいますかあ」 魔導師一人の戦いとは、敵影が掴めぬうちから既に進められるのだ── 敵の数は十人余り、対して魔導師は一人と目に見えぬ木霊のみ。 相手は山賊。魔法の使い手はいない。剣と斧を振るいて生を得る者たち。 森と共に生き、それを自らの住処とする木霊が教えてくれた。 こういう地元の情報を侮っていたら魔道一筋の人間に明日はない。 そこそこの魔導師ながらに彼はそれのおかげで今日までこの商売を続けていられた。 「疾風の空よ、我を導きたまえ。かの地へ終わることのない契りによりて」 が、どうにもいちいち祈りの多い男であった。風の精霊へ助力を乞うている。 祈ることはムーランヒ国民の多くに見られる傾向ではある。が、大抵は神へであるに。 「炎、火影の大長者よ荒ぶる心を鎮めたまえ。この時、我願い断ち切りて」 火は草木を燃やす。木霊のいる森において炎系の魔法を使ったらそっぽ向かれてしまう。 それを行使しないことを予め己はしない事を誓い、愚を犯す者には制裁を下してくれ。 火の精霊への祈りというよりは、木霊への祈りというべきか。 祈りとは言ったもん勝ちで、言うだけは簡単。精神集中による魔力の浪費もない。 ただ、精霊と親しくなれる資質と気遣いは必要だが。 元来異世界からの来客であった精霊は頼られなければ人に干渉しない。 だがこう言い回すことによりこの森の木霊は侵略者を排すことが出来る。 そう、植物を傷つけようとしたその瞬間から。 「後は植物を傷つけないように歩くだけ。じゃ、よろしく」 そう朗らかに宣言して何もいない視線の先に片手を振った。 すたすたと踏み固められた土の道の上を、足下には注意しながら進み行く。 名をライト・フェグ=ロートル。魔導師としての称号は精霊紳士、冒険者ランクはB。 自分の力を温存することにかけては目を見張るものがある。 彼の仕掛けた術界から抜けたければ、全ての存在を邪険に扱うなかれ。 罠とはまって気づいては遅い。人の手に負えない存在がもう味方についてしまった。 |
三、捕縛が終わり森を抜けて依頼完遂。 忍びよる敵を植物に傷つける事なく捕まえるにはどうすれば良いか。 簡単な方法は、殺してしまう事だが……生死は問わないと依頼主には言われてある。 依頼の要は、荷を狙う敵を識別できれば良いのだから。身元を調べることまでは彼の管轄ではない。 極端な話、頭だけ持って帰ってきても良い。それを公衆の前に晒せば残党も炙りだせれる。 だがそれでは森を大地を血で汚すことになる。木霊にとっても土に潜む精霊にとっても好ましくない。 よって、基本的に木霊と風の精霊の助力に頼るわけだが。 魔導師の囲いが狭まり敵の射程範囲、彼にとっては死角となり得る距離にさしかかった時。 枝が折られ植物が踏みつぶされる小さな音がした。 ──木霊の審判が、始まった。森中の嘆きに風が共鳴して唸り破壊者を叩き潰す。 木の枝は鞭と化して大きくしなり、自分の腕を手折った者を絡めとり縛り上げる。 踏みつぶされた植物は乾いた涙を流して足枷をしてゆったりと巻き付く。 どちらもなであげながら、しかし逃げることを許さない。 背中まで到達した時には異様に胸に食い込み突如棘が生えた。 つむじまで覆い隠す頃には神経が打ち込まれた毒により麻痺してしまっている。 風は逃げようとするものを腕に包みこむようにして逃げ出す者を押し止めていた。 耳許に息吹を感じた刹那、地に跪づかされ正面から突風の弾丸に狙いうちされる。 木霊のいる森。そこは人あらざる者の住処。精霊の力に感化された森。 己より弱小なる者の無礼に裁きを下すことなど容易い。 魔導師など魔法を使う必要すらなかった。ただ、敵を目で追うのみだった。 ものの数分で森に自分の足で立つ人影は一つのみとなった。 魔導師を除く全ての人間は気を失っており、縛りつけられている為顔が青白い。 動かないことを確認した後、隠しもっている物も含め武器は剥ぐ。 送還の呪符を額に貼り付け術を唱え軽く手を振った。 |
四、知人と遇うも結局枕にまとまる。 強制送還の呪符は、シェル国の闇ルートで購入したものだった。 結構値が張っていたのを、そこはまあ知り合いの顔に免じて安くしてもらっていたのだけれど。 十数枚もの損失は、やはりでかかった。 何かを強制移動させるのはかなり難易度が高く危険が大きいのだ。 自力でやっていたらとても全員送りきれたものではない。 そこそこである故、装備品には金をかけていたのが今回も役に立った。 「んー、剥いだ相手の武器はうっぱらっちゃっても良いよなー」 敵は無法者だし、武器を奪ってはいけないという事もない。 売っても略奪行為として法に引っ掛かるわけでもなし。 森を抜けてから重い斧は炎によって燃やし、溶かした。 それはひとまず適当に転がして小剣や短刀といった小型、中型武器を袋に詰めた。 よっこらせと背負い、武器屋まで売りに行く。 護身用の武器以外は持っていても宝の持ち腐れである。 売って手にした金はそのまま特別手当として懐に収まった。 山賊は依頼主のもとへ届いたはずだから、拠点にしている宿へ赴けば報酬がもらえる。 生きて情報を聞き出せる分、結構な額になる。 これまでも冒険者を雇っていたようだが返り討ちにされていたようだし。 依頼は完遂、報酬を得たところ知人である剣士と街中で遭遇した。 一杯酒で乾杯し、夜も更ける前に部屋に引き下がった。 荷を漁り麻製のそれを取り出し軽く叩いてシーツと自分の間に挟む。 「うーん、やっぱ使い慣れた枕が一番だ……」 ごろん……ばさっ……すかすかぴー。 結局宿でも日頃愛用の枕で寝入る男である。 きっと枕が変わるとなかなか寝付けないタイプだ。 己の調子で駒を進める者は同時に自分で調子を崩す。 そんなものであり、それでやっていけるものだった。 |