『死神』
「今日の社会歴史かぁ……メンドイね」
授業中、友人の一人が毎度のことながらいつもの一言を口にする。
「キリスト教なんてどうだって良いし」
そこへまた社会嫌いの友人が口をはさむ。今はイエス=キリストの話を教師がやってる。
「日本は宗教何でも良しだしね」
かなり曖昧な相槌を打ちながらでも会話は進まる。
「そうそう。なんだって歴史を覚えなきゃなんないんだか」
まあ、大抵そう思うけどね。実生活に役に立たない知識なんて、と。
これで偏差値をつけられて将来を決めつけられるなんてたまったもんじゃない。
そういうのが現代っこの考え。昔はそうも言えなかったことはわかってたけど。
ひそひそと友人が言葉を交し合うのを横目に私は顔を右へと動かした。
ノートを取ってれば教師には叱られない。窓の外には何もいない。
あるといえばいつもと変わらない空の青さと雲くらい。
面白いものが何もなくて、黒板に視線を元に戻す。
しかしチョークはあんまり動かされてはいなかったようで。
友人は二人、今もなお話を盛りあがらせている。
「良いか、だまってよく聞けよ。キリスト教は聖書に善行を行うよう書いてあるが、
それを説いた人間は果たして聖人だったかと言うと全てがそうとは言い切れない」
この言葉にチビの小うるさい奴がしゃしゃり出て騒いだ。頭が堅い奴ほどよくしゃべる。
ちらりと教科書のある年代の風刺画を見てみると理解できた。
平民といわれる人間の上に石を乗せてその石に乗っている貴族と僧侶。
人の価値とかいう下らないものは数多の人間が決めるもの。
誰が苦しむ人を踏みつける人間を善人だと褒め称えるだろうか。
それは教師の言葉に耳を貸さずとも考え付くものだった。
「国だってそうだ。国をよくしようと思ってやったことが途中でねじ曲がって伝わっていく」
そこから先は耳を左から右へと素通りしていった。興ざめしたような気がしたから。
つまりどれだけ聖人君子で慈愛に満ちていようと人を束ねるカリスマがあろうと。
組織ができれば序列ができ、頂点の立つ者の考えが正しく浸透することはなくなる。
そして人は集団になるとただ集まっただけでも何か前より強くなったような気になる。
邪魔なものがあれば排除しようと偽りを流す。疎まれた者は手のひらを返した仕打ちを受けて。
恨み、絶望、憎悪、悲しみ、邪心。それを心に宿して裏切られた者は人に手をかける。
よく人が命を消すのは死神が唆すからと言われているけど私はそうとは思えない。
大勢の人間から成す一つの大きな死神。鎌を持たず誰もその存在に気づくこともなくて。
ただいつもの日常、行動、会話。日常が異常で残酷なのかさえ気づく者はいないだろうけど。
当たり前の言葉、ありきたりの言葉で人を白から黒に、光を闇で遮り。
そして生みだした暗闇の中で救いの手をさしだすのは血濡れた手を持つ死神。
あと書き
えー、と。確かキリスト教が魔女裁判開いたとテレビで知ったんですけど。
更にいろいろ読んで、何ともない普通の人を虐殺して信仰の邪魔になるのは消してしまえと。
現実はゲームや小説とは大違い。命を尊べと言いつつ平然と人を虐殺して。
今じゃ考えられないことだけど当時はそれが普通で常識だったんでしょうが。
これもやっぱ自分が宗教を疎む理由の一つそうです。罰当たりかな。
宗教家の皆さんと激論バトルにならないようにしたいものですが……
どうもダークとなると一人考え込む方向になりがちで。。
今更ながらにだけど……これは小説なんだろか?冒頭はそれらしいけど。
うーん、でもやっぱ打ってて気持ちの良い言葉じゃないな、お題の言葉。
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