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一頁 水汲みのリスクは高すぎる


 前略。我が師匠へ。
 私うさき、ただいま落とし穴に落ちている最中です。
 突然穴が開いて、水ガバリ。その時私は? もちろん落下のまっさなか。
 どうか今、暇だなどとぬかす瞬間があるならすぐさま飛んできてください。
 今日も私、がけっぷちに立ってそして墜落してますから。

 あなたは数刻前私に放った言葉を覚えているでしょうか、の者より。










『ガパッ……ヒュルルル──』
「うわぁぁぁぁー!!」
き、の部分に濁点がないから捻りのないものじゃな。そう言って私を水汲みにいかせた師匠。
あなたへの信頼を今なら、簡単に失えてしまえそうです。理由? そんなの最後に聞いた言葉がそれだからですよ!

「っていうよりししょぉぉっ。ほんとたーすーけーてぇぇぇ……元々はあんたのせいだぁ!」
ああ、どうして……どうして、いっつも私ばっか落ちるんだろ。そりゃ、あの師匠だよ?
普通にしてて落とし穴に落ちることのほうがおかしいけど。それで落ちたら一生の笑い種になるのはわかるけど。
でも弟子ですよ、私。あなたの弟子! 自分から突き落としたわけでもないのに何の助けもなし!?
師匠が飲み水を汲んで来いっていうからこんな事態になったのに。
ヤシの実の殻を倉庫から引っ張り出すだけでも大変で、あそこから出て来るだけでも大変だったんですよー。
それに夜の属性の私は昼に太陽の光を浴びる事さえも体に毒なのに。なのに、何この仕打ち。
師匠の寝床まで後少しの所で、赤外線に引っ掛かり。警報が鳴ると共に暗い穴、真下へ。
いつも無理難題ばかり言ってくる師匠の言う事を聞く私もだけど。
だけど、師匠で私その弟子で。師匠の我儘にちゃんと応えないといけないから。

……。あー、うーもうっ! 
唯一の水源である湖からは遠い寝床。寝床を出るにさえ、赤外線にひっかかれば落とし穴が開く。
どーして面倒だとわかりつつこんな場所を寝床にしたんですかっ?!
ここまで考えがいったところで、私はようやくハッとする。まだまだ下降中だっ。
落とし穴、風がずっと私を落としていく。焦る私とは正反対であるかのような。

師匠の反応、まったくなし。応答ゼロ。無視ですか? それとも今ひなたで昼寝中? 
数少ない友達と師匠の助けはこない。となると、うー。いやなんだけど、いやなんだけど。
こうなったらあまり呼びたくはないけど呼ぶしかない。あの存在を。
「リゼラクトーッ、月の精霊さぁーん! もうだれでも良いから助けてぇぇっ」
『ヒュルルルル』
ああ。自分の落下している音がさっきよりも耳につく。今とっても虚しい、自分。
真昼の古いコウジョウの中、私は月にも見捨てられました。友達、師匠、精霊に。
結局そんな薄情なのばっかり。私の周りにいるのは。私って、何なの? ただうさぎとキツネの仔なだけなのに。
どうして助けにきてくれないんだろう。助けにはならなくても、姿くらいみせてくれたらいいのに。
助けは、こない。だけど。此処限定、奥の手は私をとっつかまえてくれるかな……?
やっぱり残った最後の手段。私はそれにすがるしかこの落とし穴から出る方法はない。
すってーはいてー。息すってー……いつもお世話になってるから、頼ってばかりでいい加減へそ曲げられてないかな?

「タブー言っちゃうぞ──! リストラされたオオバサン、ジツハヅラ!!」
言葉の意味は、知らない。ジツハヅラって何だろう。ジツハヅラ。
地津刃っていえば師匠が前にどこかの地名だって教えてくれたけど。ヅラっていうのは顔の隠語らしー。
リストラっていうのは、何なのかせがんでも教えてくれなかった。タブーっていう言葉の意味もだけど。
リスとトラってあるから、リストラは私みたいな亜種の事なのかな。両親の種族に差がありすぎた。
それで。そろそろいつもなら叫んだ効果が来るハズ。
この言葉はある意味師匠の使う魔法みたいなもの。
何故か、精霊の姿は感じないけど。いつも落ちた時は私を助けてくれる不思議な存在。
『ウルゥ、サァァァイィィィッ』
あ、来た来た。この救済はいっつも下から来るんだよ。だいたいこれを唱えると姿も見せずに応えてくれる。
何を叫んでるのかは声が大きいすぎてよくは聞き取れないけど、精霊語か何かなのかなあ?
ウルゥまでは聞き取れるんだけど。確か精霊の言葉ではゴガツとかサツキって意味らしい。
だけど、私にそんな名前はないのにどうしていつもウルゥって呼びかけてくるんだろう。精霊なりの愛称かな? 
同じ精霊でも月のリゼラクトは私のこと種族名で呼ぶ。あいつとのほうがこの精霊さんよりも付き合いは長いのに。



姿なき精霊の叫びは墜ちるだけの暗闇の中、揺らぐ。
そのとき異世界へと通じる門から、精霊が渡ってくる。
恥ずかしがり屋だけど私にとっても優しい精霊が。



この振動の次に発動するのは……きっと。また、来るかな。来て欲しい、最後に頼れるのはあの。

風が吹き上げる。それは私を奈落から地上へと背を押してくれる存在。
あー、これこれ。これを待ってたんだ私は。
物凄い突風が下から吹いて、私の体は舞い上がる。

小さな音をたてて、突風は止み、日の当たる場所が目に映った。地上、地上っ!
そして私はヤシの実の殻をほっぽり投げて短い四肢で宙を泳いで前へ進んだ。
硬い地盤にぼてっと落ちて、痛い……おなかから打って、四足とも強打したぁ。
だけど私は赤外線レーザーにひっかかった所の外に戻っている。それだけでも奇跡のような生還。
ありがとう、この言葉を教えてくれて。リゼラクトが私にくれた言葉で一番今、役立ってる。
落とし穴に落ちる度、しゃくだったりはするけど。この時ばかりは本当に感謝してます。
「はぁ……また、汲まなきゃいけないのかな」
そういえば。昼に夜属性のリゼラクトを呼んだって助けられるわけないんだよね。
まだ雨とか曇りだったら低率で出てこれる事はあるんだけど。
ホッとすると今更当然のことに、私は気づいた。ごめんね、リゼラクト。
投げ捨てたヤシの実の殻を拾い上げる。うん、穴は開いてない。丈夫で安心。
私は突き刺さる太陽の日差しにむっとしつつ、足早に湖へ向かった。



「あ、れ……? 湖に、何かいる」
水汲みに再度湖へ行って、私はまだ遠い位置から変な塊があるのが見えた。
珍しいなあ。ここ周辺には生物なんて湖の魚か鳥と私と師匠しかいないのに。
あんなに大きそうな……何だろう? 誰かが置いていったのかな。
でも大きな物を運べるのって、私しかいない。その私に、見覚えのない大きな物体。
遠くから見ても鳥の誰かでも師匠でもない。もし師匠だったら私とても怒るけど。
「チュチュ? うさき、あそこで倒れてるのってニンゲンだよ」
「えっ! スズメ、ニンゲンって言ったら」
私達の敵! あ、違った。えーと敵でもあって友でもあるってよくわかんない事を師匠が言ってたなぁ。
でも憎むべきであって愛しい種族でもあるって……矛盾した事言ってた。
いっつも難しい話ばっかの師匠、あの時は顔を下げてたからちょっと不気味だった。
「うさき、近づかないほうが良いよ。何されるかわからないから」
「うん。でも水汲まなきゃいけないし」
ニンゲンとは関わりたくないけど、水を汲まないことには帰れない。
湖に近づきたいのにー。ニンゲンがいるから……うー、うん。
気づかれないように湖まで行く、しかないよね。怖いけど。




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