前頁 次頁 目次 応接間



二頁 ある日突然


学校からの帰り道、一人約束すっぽかして帰ってる。
空はもう太陽の放つ色に染められてそれがもうすぐ夜になる兆し。
電柱や家々の影が地面を暗く塗りたくっていた。
ほのぐらい人工的な灯火はまだつかないくらいの時刻。
それが転機、変わり目になるなんてことはあり得ない。
そのはずなのに陽光が弱るほど不安がましていく。
夢見がよくなかった、ただそれだけのことなのに。



「……ったく、やってらんねーよ」
溜息まじりに足下に転がってる小石を蹴り飛ばした。それは軽い音をたてて電柱に直撃して割れた。
普段と何ら変わりないことなのに、石とは関係のないものが思い出されて嫌気がさした。
中間が終ってテストも返って来た。成績がどうたらこうたらってわけで不機嫌にはならないが。
とりあえずいつもどーりの成績だ。よって親に見せてもなんら問題なし。
とまぁこれはどうでも良い。ほっとけ、自分。
にしても鈴茄の奴、あの言い様はないだろ。カンニングしたんじゃないかって。
なーにが悲しくてあたしがやらなきゃならねぇんだっての。本人冗談のつもりだろうけど。
こっちははらわた煮え繰り返るかと自制すんのに苦労したっつーの、ったく。言うにも程があるだろ。
大体あたしの隣は馬鹿と阿呆だぞ? 庄太 はあたしには全教科で点数下回ってるし。つまり馬鹿。
希一はボケがはいってるしな。いっつもスペルミスとか些細なとこでこけるんだ。
基礎はピンミスで逃すが、何故か応用問題ははずさない。単に詰めが甘い奴。
ま、希一はがんばってああなのは認めるけど。やるだけの事やってなら良いだろ。
テストの見直しちゃんとしろよ、とかいったツッコミどころはあるけど指摘はしてやんねぇ。
教えてやるのはちょっとした理由からだが、癪なんでな。
「さあって、明日鈴茄の奴がどうでるか見物だな」
どーせ明日、鈴茄は提出期限が過ぎた数学のプリントを写させてくれってせがんでくる。
その時に昨日の事を謝るまで見せてやんない。ああ、誰が見せてやるかっ。
あいつはあたし以外に頼れそうなのいないしな。
提出日までに出して返って来たのは学年でも五人しかいない。男三人とあたしと、もう一人。
かなりの難問だそうだ。いままでやってきた問題の応用だそうで。
あたしにとってはその難関とやらも、ちょろかったが。そりゃ、あくどいとは感じたが。
テスト期間中だってのに解答は配られてないし。そのうえでテスト当日が提出日だ。
しかも提出日前に、誰かの解答を写したことがばれれば罰ありときたもんだ。
提出の際は教科の担当に手渡し。あたしが出しにいった時の目ときたら! 思い出すのもおぞましい。
教師に嘘を通すか一ヶ月で百万稼ぎ出すのをしないといけない状況に陥ったなら。
あの数学の長山の目を欺くよりも、あたしは百万を一ヶ月で稼ぐほうを選ばせてもらう。
それっくれーに嫌みな教師。あの数学の鬼は。誰ひとりとしてこの考えに異論はないだろう。

鈴茄は大の男嫌い。というか、恐怖症だ。普段は強気だが男子に囲まれると途端に体が震える。
だから誰かから写させてもらえる確率は五分の二。だが。
残りの一人に絶対鈴茄は見せてとは口が裂けても言わない。恋する乙女とやらは馬鹿なもんだよな。

「……かー!」
背後からあたしを呼ぶ声がして振り返れば、一人の女子がこっちに向かって走ってきてる。
噂をすれば影とはこの事か。鈴茄が勝手に敵視してる実羽があたしと横並びになった。
友人の名前にけちをつけるわけじゃないが、この名前って結構珍しいよな。
まぁ、あたしの名前も言えたことじゃないけど。
「夕花っ! よかった、ようやく追いつけた……ふぅ」
あたしの横にまで来て、やっと足をゆるめた。実羽は走った後で息が切れている。
まあ、吹奏だもんな。運動部なみの体力はない。
「実羽、どうした? 今日は部活なんだろ」
あたしは帰宅部というやつだ。これって、どの学校にも必ず存在する。
そんな帰宅部の人間は部活の日程なんて知らない。でも吹奏楽部は熱心だからな、音楽教員が。
今日は部活解禁後、早速活動開始かと思って実羽が教室に姿をみせる前に帰ったんだが。
そのことに対して実羽に怒るような素振りはない。あたしが約束を破ったってのに。
「うん、そう思ってたんだけど今日なかったみたい。先輩は河槙さんに連絡頼んでたって言ってたけど」
あー……あのオオバカ。ぺちんとあたしは自分のでこを片手で叩いた。
鈴茄の奴、いくらなんでもそこまでするかよ。それはさすがに限度超えてるだろ。
うし、明日あいつはシメとこ。んでもって今は実羽を誤魔化しておく。
「はは。鈴茄の奴、よくそういうのは忘れやすいんだよ。あれは誰にも治せない」
と、あたしは表面で笑って心の中ではどう鈴茄をシメるかという事を考えていた。
やりすぎなものはやりすぎだ。いくら嫌いな相手だろうと伝言頼まれたんならちゃんと言えよ。
「うん、そうかもね」
実羽の顔がふんわり綻ぶ。ああ、この顔が男共の心を捕らえてやまないんだよな。
あたしに男どもの心情はわからん。だけど、このちょっとした笑みに悪意はない。
ここが鈴茄との大きな違いだ。これって小さな事だけど重要なとこ。
庄太が実羽の事をしょっちゅう可愛いって言うのがよくわかる。
……相談相手にされんのはすっげえ気にくわないが。あたしはこれでも女だ。

「あ、それと。夕花は女なんだから、ちゃんとした言葉使ってよね」
鈴茄と同じ言葉でも実羽のほうが断然説得力あるんだよなー。
いまのところは、素直に従っておくか。実羽に押し付けらしさはない。
「はいはい、わかりました。実羽ちゃんどーもありがとっ」
うげ。やっぱあたしが今更使うのって変! 特に最後のほう。
語尾がいつもの感じにはやくもなりそうだったからアクセント強くしたのが、よくない。
「うん、それで良いの。その言葉遣いでしゃべってね」
また実羽の顔が綻んだ。それに少し……暖かいような奇妙なこそばゆさ。
んー、なんっつーのかな、これ。親と子供? いや、違うな。
「わかった、わかった」
そうだ、これは子供が親に言ってるみたいなんだ。
例えるなら良いでしょ? ってせがんで欲しいものをもらった後に見せるような。
親が子に抱く感情ってこんなもんかなっていう。そんなのを思わせる笑いだった。



それからあたしと実羽は他愛のない話をして別れ道にさしかかった。

「じゃ。最近変質者が出てるらしいからな、気をつけろ」
今朝、担任が言っていた。毎年の事だといつもは聞き流していたんだが。
とにかく今年のはいままでと違うらしい。理由は寝不足だったせいで覚えてない。
それに気になることがある。二日くらい前からやけに生々しい悪夢を見た。血と涙の。
そのせいで昨日今日と寝不足だ。同じ夢をみちまう。ろくにねれやしなかった。
まっ、悪夢だって夢の一つなんだ。現実に起きるような夢、みるわけがない。
そんな夢を考え付くあたしってつくづく根性悪なんだろうな。それはあたしがよく知ってる。
「うん、夕花もね」
「おう。実羽は狙われやすいからよっく気をつけてな」
だが……それでも夢ながら、頭の奥から恐怖がかきたてられるもんだった。
あたしがみた、あの悪夢。その茶番の主役は……あたしじゃなく、目の前の。
担任の言うような奴が実羽の前に現れない事を願う。今朝見た夢だと実羽は、やられる。



不意に一つの奇妙に歪んだ影が電柱の影と混じって伸びていた。
影から目線をあげた先は既視感の細切れと現実の破片の交錯が生じる。
頭の禿げた小さな男。黒いメガネ、ちゃらつかせてる車のキー。実羽の歩く先にある白のワゴン。
それは、夢でしか見たことのない存在。幻影でしかなかったイメージの一端が、出現した。
あたしには先が読める。これから何が起こるか、考える間もなく。
もし万が一に夢どおりであるとするならば。夢を信じないにしても、この目でさっき見た確証。
「あの男……」
ハゲが実羽の跡をつけてやがる。誘拐犯か、痴漢か通り魔か。
あたしの悪夢に出てきた男は、あいつだ。ただのハゲなのかもしれないが、この光景は。
いや待てあれは夢だろ? そうだっただろ!? くそっ、なんであいつに見覚えがあんだよ!
「させてたまるか……!」
あたしの足は命じる前から駆け出していた。今現在の距離、約四十メートル、かかる時間約八秒!
冷たい風があたしの頬をきる。わけがわかんねえ。けど、ずっとあの男は実羽の後をつけてる。
足音を殺して、気づかれないようにしている。物陰があればそれに入った。その時鈍く光る――拳銃か!?
あっちはあたしが走ってることにまったくきづいていない。実羽なんざ、鼻歌まじりに歩いてやがるっ。
まだ距離は十、しかしかかる時間二秒たらず!
夢云々とかよりも見ればわかる、絶対に誘拐なりなんなりするつもりだ。
そういや身体的特徴を頭の禿げた小柄な男だっていってなかったか、あの担任は。
あたしは実羽に向かって全速力で駆け寄る。この距離ならなんとか……元陸上部の意地!

何かが身体の中で外れたような気もした。
不吉なカウントの幻聴が聞こえた。低い男の声だ。

「実羽!」
「え、なにゆっ……!?」
あたしは実羽を抱き、地にしゃがもうとした。だが勢いの付きすぎた健脚はふみ留まることを知らなかった。
無様に何度もコンクリートに頭や膝、肩をぶつけながら転げた。
その時、背骨とコンクリートがひときわ大きく耳障りな音を奏でてくれやがった。骨が折れたにしては変な音と共に。
この動きは強引すぎた。起き上がろうとするあたしの体に衝撃が走る。
「ちっ、まともに立てやしねぇ!」
「な……」
地面には不吉な黒が転げていた。その表面で未だ残る太陽への鈍い反射を返しながら。
どういうことかハゲの手からは拳銃が離れていた。拾おうともしていない。
奴は、何か呟くと逃げ出した。この場から。二度と、来るな。

「ゆ……う、か? こ、このあ、あ、あっ! 赤いのは」
実羽は脅威が去ったってのに体を震えさせてる。一体何だ?
それに、赤いって言われてもな……。周りには赤色のものなんて何も。
「何、どこのことだよ、赤いのって。実羽」
そういや急に体がだるっ。なんかねみいな、今。すんげー眠い。でも寝るわけにはいかねえな、うん。
なんか知らねえけどそんな気がする。どうしてだろうな、わかんねえけど。
「どうしてっ、どうして……?」
だーかーらぁ! それじゃわかんねぇって。あたしの背にまわされていた実羽の右手を掴んで手前に寄せた。
その手は、赤く染まっていた。あたしの背中が濡れてんのか……ペンキ? あ。これ、あたしの血か。
「なんで夕花がこんな目に……」
うわー、初めて見た。こんなに実羽の手にべっとりになるくらい血が溢れるとはな。ギャグかよ。
ああ、これだと永遠の眠りって奴についちまうな。我ながら、出血がひどすぎて助かる気がしない。

ま、実羽のためだと思って割りきるか。無駄なあがきはしない、それがあたしの信条だ。
全身打撲でいってぇし血は流れるし実羽は泣いてるし。最悪尽くしだな、今日。
だけど、良かった。
「別に……」
夢のとおりにならなくて。見殺しにはならなかった……悪夢から解放されるよ、これで。やるこたやった。
妙な達成感と誰かがそれを褒める声が聞こえた気がした。きっとそれは、あたし自身のものだろう。
「夕花? 夕花っ!? めぇっ、目を、閉じたりしないでよぉ!」
あ、やばい。言いたいことまだあんのに。力がはいんねぇ。
血が血だって気づくまでは全然なんともなかったのに、なんだよこの体たらくは。
力が抜けていくなか鮮明に思い出されたのはなぜかな、実羽との会話。





≪ねえ、夕花は好きな人っている?≫
≪いや、いねぇけど? 実羽はいるのか≫
≪ううん、いないよ。ただ夕花にはそういう人いるのかなと思って≫
≪ふーん……≫

そう、普段はそんな事に興味のない実羽が言ったから印象に残った。
次に鈴茄との会話。

≪ゆうかぁ! あんたホンットーに好きな人いないわけぇ!?≫
≪ああ。そうだな、友達以上って奴はいない≫
≪っていうかその言葉遣い直しなさいよ! 男と話してるみたいで鳥肌立ってくる!≫
≪つーか、男嫌いのお前が好きな奴いるって知ったことに驚いた≫
≪な! まだ言ってない! それに好きな人にはそんなこと関係ない!≫
≪図星か。でもお前の好きな奴、実羽に気があることお前知ってんの?≫

あー、そうだ。鈴茄に激励の言葉かけてやるんだったな……あいつ、あの後絶句して教室飛び出したから。
別にあいつの好きな奴くらい知ってるさ。幼馴染みだったんだから仕草見てれば誰が好きってことくらい。





違う二人の同じ質問。何故、あたしはこの時思い出すのだろう。
それにこれが死かという実感はなかった。痛みがこんなに弱いもんかよ?
「大丈夫だよ……救急車、呼ん……で」
「夕花、ゆうかぁっ! いやぁぁぁ!」
だから、叫んでないで救急車呼んでくれってば……。
情けないあたしはそこで意識を手放した。
誰かがあたしの頭を軽く撫でた気もする。優しくも角張った手だ。



                          

NEXT


よくやった、上出来だと。 法師は少女に微笑んだ。 どうなってるんだ、畜生と。 男は替わる機会を失った。 法師の企みを、男は見抜けなかった。 それがこの旅の始まり。 2009/07/12 オマケ絵追加