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三頁 おいかけっこ



「抜き足差し足忍び足……」
スズメに教えてもらったように二歩進んで一歩下がる。それからニンゲンの横をたーっと進む。
水入れを落さないよーにしっかり持って。落としたら後が怖いから。
「ん……」

『ピクッ』
ニンゲンが、動いた!? 私はすぐさま後ずさって距離をとった。た、戦わなきゃ殺される!
「う、わぁぁ────!」
私は爪を出してニンゲンに襲いかかった。死ぬのは嫌だから。弱肉強食の世界にも、抜け穴はある。
寝込みを襲えばどんな強いのだって堪らない。私にだって、武器はないわけじゃない。
大人しく食べられるようなことにはならない。なるわけにはいかない。
「がんばって、うさきっ!」
すずめは私の頭上を舞い、そう声にするだけ。
もぞりとニンゲンが起きあがった。でも気が緩んでる今なら。大丈夫、私はやれる!
「あ? さっき、あの雀……」
短いけれど鋭い爪があと少しで袈裟を破るという所でニンゲンに両腕を捕まれて宙ぶらりんの格好になった。
腕がちぎれそうな痛みが生じた。身体を揺らして逃げようにも自分の重みは私を苦しめる。
「なんだコイツ。ってか此処はどこだよ……」
「離せったら、このニンゲンッ」
このまま火あぶりにされてニンゲンの腹に収まるなんて嫌!
そりゃこんな身空で生きることは楽しくもなかったけど死ぬなら暗闇で、いつもの寝床が良いっ。
『ボテッ』
いきなり腕を離されて、体を地面に打ちつけてしまった。
だけど痛みに文句をつけてる場合じゃない。殺せなかった、逃げなきゃっ。
一目散に私は四本の足でその場から逃げた。死ねないの、私は!
「うさぎが、しゃっしゃぁ……喋ったぁ──!?」

鳥の大群が木々から飛んでいく羽音が聞こえた。もう水汲みどころじゃないってば師匠!





なんなんだよ一体! あたしはてっきり、死んだと思ってたのに目が覚めると景色が変わってて田舎じゃねえか。
しかもさっきうさぎが喋った! 天国じゃ動物も言葉を話すのか!?
うーわ、信じられないっての。つーか信じろっつーほうが無理!
此処って本当に天国か? 銃弾受けたけど、あれってそんなに痛くなかったような。
でも目を覚ましていた場所が病院じゃないって……気を失う前はアスファルトの上だった。田舎じゃあない。
ん? 待てよ、あのうさぎの耳。そういや短くて先が丸くなかった気がする。
横幅が広くて縦幅は低い。心なしかキツネっぽい耳だったんじゃ。
フェレックなんとかって奴、テレビで見たけどそんな形してた。

はっ。まて、それより確認だ確認! 幽霊になったら足消えるんだろ?

立ちあがり、手を後頭部にまわす。ざらりとした髪の感触。頭の損傷なーし。
そしておそるおそる屈んで足に触れたが、実感がちゃんとある。透けたりしない。
幽霊になったわけじゃないのはわかった。だが、待て。これって足袋じゃないか?
……死んだばーちゃん、足袋履かされてたな。ってことはあたしも死……いやいや待てよやっぱり。

そういえばなんだよこの腕にかかる余計な布の重さとか。制服ってこんなに重かったか?
スカートだったのになんでさっき屈まなきゃ足見えなかったんだよ。
それに気づかなかったなんざ普通あり得ねえよ。やべ、あたしマジ混乱してね?
息を吸え、そして吐け。それを自分で口にしながら深呼吸をするがかえって心臓がドクドクしてきた。
いつの間にか閉じていたまぶたを押し開けて肩を揉んだ。服の手触りが、奇妙だ。ごわごわする。
「とりあえず足はある。って、んなアホな……死に装束にしても装飾過多だろこれ」

これってよくよく見たら法師とかの服装じゃん。アニメで見たぞ、こんな格好。
死んでタイムスリップしたのかよ。骨食いの井戸に投げ込まれたのか、肉体が腐る前から。
あ、でも奴ってイドの怪物だっけか? いけね、混乱でいろんなとこの微妙な違いがわからなくなってる。
でも、なんで衣装が法師の格好なんだ。死に装束ってもっと質素だろ、白だろ。しかも男物じゃなくて。
あたしはこれでも女……ってまて。今まであったはずのふくらみが見えない。え、胸がなくなった?
ペタペタ胸を叩いたけどいつもより硬い。男という確証は見なかった。それをするのは女心がはばかる。
あたしは言葉遣いこそ悪いし女の身体は面倒だとは愚痴も言うが、男の肉体になりたいと思ったことねえ。
泣きっ面に蜂ってこのことも指すのか? タイムスリップしたあげくに性別変わるとは。
たとえもしここが昔じゃなくて現代だとして知り合いにあっても今の姿じゃせいぜいそっくりさんと思われるくらいだ。
生きてるんだよな、あたし。いや、俺って喋ったほうが良いよなこの場合。
カマって言われるのは嫌だしな。一人称さえ直せば完璧男が演じれるな……なんか虚しい。
実羽に言葉遣いには気をつけとけと言われたことがもう懐かしい。なんだかなー。

「んで、問題。あた……俺はこれから何をすればいーのか」
誰か現れるのか、自分で動くしかないか。とりあえず近くに人気がありそうなとこはない。
となるとさっきのキツネ耳うさぎを追うしかないか。あんな珍獣、きっと飼う物好きがいる。
そう、金持ちのボンボンあたり。一般人は、あんな変なの飼わないだろうけど。
それに……自然発生できるわけがない。あれは亜種だで済ませれるもんじゃねえだろ。
さっと暗い考えが頭をよぎるがそれには頭を振って否定した。
マッドサイエンティストなら、いないほうが良いかもしれない。
……いや、よそう。こんなの妄想だ。あれが見間違いって可能性がないわけじゃないんだ。

確かあっちに走ってたんだよな……行くか。適当な目測をつけて、あたしは走り出した。
でもうさぎって俊足なんだよな。小学校の頃、うさぎ当番の鈴茄によく捕まえるの手伝わされたもんだ。
ま、足の幅に大きな差があるから走れば追いつくよな。そう睨んだとおり視界にあいつが映った。
お、いた。前方十五メートルってとこ? あたしに気づいて速度をあげた。しかし前方に見えるあれはなんだよ。
やったらとでけぇ建物だな。あの急傾斜の屋根と連なってる建物の形式からして紡績やってる工場っぽいけど……
何もやってはないみたいだ。機械の騒々しい音が無い。いや、どんな音するかは知らないけど。防音してんのかな。
でも、遠目にこっちから見ても正面の大きな門戸は錆びついていて役目を果たせてない。

門戸を走り抜けてお互いの距離が五メートルもあろうかというところまであたしは距離をつめた。
それに気づいたあいつが走りながら振り返って口を大きく開いた。そして、
「なんで追ってくるのーっ!」
また喋ったよあのうさぎ。でも今度はあまり動揺がなかった。……んなこと気にしてられないだろ。
ってことはあのキツネっぽかった耳も本物だな、認定しちまえ。もう。
「やっぱり喋んのか、あのキツネ耳」
ん、なんだあれ。キツネ耳から正面へと目線を逸らすと扉があった。
建物内へと通じてるんだな。でもその先に赤い線が幾筋もあった。
なんか赤外線感知とかいう防犯装置っぽいな。……でも、普通は目に見えないはずじゃないか? ああいうのは。
あれって前に刑事モノドラマ見た時に特殊機材使ってたぞ。
キツネ耳がいきなり消えた。赤い線に引っ掛かったかどうかというタイミングで。
階段でもあんのか……と、首を傾げてあたしもすぐにキツネ耳が落ちた理由に気づいた。

不意に足が何も蹴らなかった。接地を失って下を見れば空洞。顎をまた上向かせる間にゃ手で掴める所がない。
「お、落し穴ぁっ!?」
ああ、馬鹿だ。落ちた後に気づくとは。そーか、あれは赤外線にひっかかったら開くんだな。
にして、なんっつー、典型的っていうより古いもんを! 現代的な外装なのに。
いつの時代のものなのか疑いたくなるな……あべこべ、じゃなくてアンバランスというべきか。
自分の間抜けさに、頭を抱えたくなったが風圧で腕をあげることはままならなかった。
着地に成功できそうもないのも悩みの種だ。五秒たっても落下し続けるってどんだけ深いんだよ此処は。



降下中のこと。考えることに気をとられていたあたしは下を見て思わず悪態をついた。
「げ……なんだよ、あの白いのは」
もしかして生クリーム? はは。んなわけないか。テレビ番組でよくあるあの白い粉かな。
ドリフのオチか。そうか、趣味が悪いな病院の人間も。ドッキリを重傷人相手にかますなよなー、まったく。
「リストラされたオオバサン実はヅラだったシャチョウはテッペンハゲってシャインに噂されていたぁっ」
これでも駄目なの、とはあたしよりも数十秒先に落ちた奴の絶叫だ。
キツネ耳が妙にに現実っぽいこと叫んでるけど、はっきり言ってアホだ。
んな事言ってどうにかなるもんでなし。そんなもんが有効なのは当人が秘密にしておきたい場合だけだ。
オオバさんも社長も大変だな、秘密がバレて。
こんな不思議生命体にまで伝わってるんじゃ最早それは明白な事実だろう。



キツネ耳が叫び終わってから数秒もしないうちに底についた。腰を叩きつけられるかたちで。
「ててて……ひでぇ目にあった。でもあの高さの割には……うわ!」
衝撃を緩和した白いものの正体はなんだったのか、視線を下に向けた途端はっきりしてあたしは飛び上がった。
白骨だよ、これ。白骨の山に落ちたのかあたしって! 嘘だ、こんなのあり得るわけがない。
レプリカかなんかだろう、と頭蓋骨を触ってみて、それが年季のいったものであることに気づいた。
埃っぽいんだ。ざらざらしてる。どうみても、ドラマなんかの小道具って感じじゃ、ない。
小学生の頃に葬式で拾わされた曾祖母さんの骨を頭蓋骨の手触りから連想しちまった。つまり、これは。本物……?
手が込んでるとは思ったがドッキリサプライズ企画はこんなに陰湿じゃねえだろ。この世のものか?
いまや、死にまつわる符号があたしの周囲に満ちてる。目を覚ましてからというもの、日常の物を見てない。
ここは冥界で、閻魔大王があたしを審判してるとでもいうのか、これは。判決を受ける覚悟決めろってか。

上等だぜ……遺骨が、なんだ。こうなりゃヤケで暴れ回るぞ!
船頭に行きの駄賃なんて渡さねえ。こんな白骨死体みてあの世に極楽浄土があるって思い込めるかっ。
だいたい回りくどいんだよ。人が死んだっつーならそうだと言えば良いだろう。変な希望もたせんな!
死んだらあの世が天国だろうが地獄だろうが関係ねぇんだよ、天国行きにするなら長生きさせてくれってんだ。

「あ……あんたのせいだ。ニンゲンは災いしか運ばないんだやっぱり!」
あのキツネ耳、なんかブツブツ言ってやがる。根暗な奴だな。
「闇の精霊、魔を討つ力を!」
何いってんだよあいつは。精霊なんているわけがないだろ。ん? いつの間に剣なんて拾ったんだあいつ。
今にもその重さで倒れそうなくらい、キツネ耳には不似合いな大きさの剣が奴の前足にあった。バカなことを言った後から。
なぜか暗闇の中でもはっきりとわかる不気味な剣だ。しかもずっと二足歩行のままで人間みたいに構えてる。
そうか、死後の世界じゃ二足歩行って霊長類だけに限った話じゃねえんだ……と現実から目を逸らしてる合間にも。
剣の柄に埋め込まれている青い宝玉が妖しく光る。まるで命があるみたいに。でも、いやな感じだ。
「刻むは魔。この世の理から外れた者達に闇から安らかな眠りをもたらさん!」

『ガァ! ガッ……ガ』
いっ!? 音は予想外な所からした。足下からだ、地面が小刻みに揺れてるのがわかる。
回りを見渡せば、あたしとキツネ耳の回りの白骨がカタカタ揺れてる。
だけどさっきの音は物音っつーより声に近かったような。なんだよ、何の声だよさっきのは。
まさか人魂とか出て来たりとかしないよな? ここは心霊スポットか?!
「死して尚も世をさまよう者よ、地に眠りて転生を待て」
うをぉっ!? いきなり白骨ん中から湧いてでたと思ったガイコツたちが今度は頭から帰ってく!
状況理解不能。さっぱりわからん、誰かあたしに説明役を寄越せ!
「この剣に……う、わ」
はいいっ? 此処は常識がないのか。無法地帯ならぬ法則無視世界か!?
何だよキツネ耳の背後にいる馬鹿でけぇやつ。普通の奴の三倍以上はあるぞ。
ゴジラか、あれで首が蛇っぽいのだったらキングギドラだ。
誰か怪獣マニアを呼んで場違いのあれを鎮めさせてくれ。

『ワレヨミガエル ゲボクタチヨ メザメヨ』
しかも喋った! なんでだよ、なんでここは人間以外が平然と喋ってるんだよ。
いやむしろ喋らない動物のほうがいねえ。マヤ神話の世界よりタチわりぃぞ!
そもそも神話の世界をたとえに出さなきゃならない事態が……だぁぁぁぁっ、今のあたしはヒステリック気味だ!
「どうなってやがんだこの世界……」
がしがしと頭を掻くしかない。はっ。いやいやこれもまた悪夢なんじゃ。
こうなる前がそもそもあれだし。現実だと思ってたあれも夢の中の出来事だったのかも。
もしくは撃たれたのは事実だけど今は病院のベットの上で意識不明なのかも。
そして今のこれは三途の川を渡るか否かの瀬戸際、臨死体験中だとか。
でも臨死体験って端から見てると夢をみてるだけだったりする。そうか夢オチか、それもあったな!
『ナンダオマエハ?』
げっ、人が夢から抜け出そうとしてる最中にこっち向きやがった。
くんなっ怪物、バケモノ! 死者は安らかに眠るもんだ!
「てめーにゃ関係ねえよこのおたんこナスッ、死者は成仏するもんだ!」
あ。今更だけど、ここって墓場なのか?
どうせ夢だからと落ち着いてきたところで新たな疑問だ。
『イキタニンゲン。キヒヒヒ』
「笑うな、てめぇ!」
おぞましいんだよその笑いはっ。寄るなあたしに近づくなぁ!
「そこのキツネ耳! てめぇなんとかしやがれ!」
何固まったままでいやがるんだ。お前今それの足下にいんだぞ。固まるのは時と場所を考えてやれっての!
「ちっ、あたしはたとえ夢だろうが死ぬ気はねえ!」



無駄なあがきはしない、それがあたしの信条。そう割り切って意識を失ったんだ。
だが、再び目を開いてみればあの世への迎えがどこにも見えやしない。夢の中を漂ってるんだろう、きっと。
もしも生きるか死ぬかの岐路に立たされているのなら。選択の自由が、命を拾える可能性が残っているなら。
それならあたしは努力を厭わない。諦めるのは抵抗する手段を失って退路も進路も消えたときだ。
まだ術は──残ってる。







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法師は抗う術を求め、自身の身体を少女に預けた。 諦めない心に器は力を貸すだろう。求めに応じるだろう。 二人は生きることを渇望している点で、通じているのだから。