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十四頁 要求される旅路


「……よっぽど縁があんのかなあ」
なんで警察といえば、この二人なんだろう。
えーとおっちゃんの名前なんつったかな。優男の兄ちゃんの名前も思い出せねえけど。
倉詩の担当なんだろうか。二人だけが警察じゃないのに、毎回この人たちだな。
「また捕まえに来たの?」
逃走手段はバレバレだし、本職の警察相手に此処まで距離詰められてて逃げられる気がしない。
マジでどうしよう。手詰まりだろ、これは。脱獄犯、再逮捕? 言い逃れは出来ないよなー。
しかし本気で追いつくの早すぎる。時雨の一件で時間食ったとはいえ、まだ二日も経ってないのに。
「もう逃げる必要はありませんよ。それと、この書類を受け取って下さい」
「え、何これ?」
黙って逃げたのにお咎めなしなのか。いや、刑期を言い渡されても困るんだけどさ。ムシが良すぎないか。
そう思いつつも、ぐっとこらえて。
あたしは差し出された書類を受け取った。A4紙に印刷された文章の冒頭には、『倉詩殿の足跡について』と題してあった。
情報の塊が不意に転がりこんできた。闇雲に歩いてた道に、光が差し込んできたかのような。
本当にムシが良すぎじゃないか。タナボタっつーか、おかしくねぇ?
倉詩の奴に渡すなんて、自らのストーカー行為をバラすようなもんじゃないか。警察だから、ストーカーじゃなくて素行調査なんだけどさ。
「何も言わないで下さい。我々も半信半疑なのです。ですが……」
「そこの、うさぎに似た新生物に心当たりがあるのです」
え。時雨? 倉詩じゃなくて、こいつに何か接点あるのか。
なんでだよ。こいつはあたしと出会うまで羽根亀じじいと喋るスズメと、そんくらいしか知りあいがいなかったんだぜ?
あたしの疑問を余所に、警官の二人は話を進めていく。
「失われた拳銃、脱獄囚、研究所にいるはずの新生物、学術都市の情報非公開、倉詩殿の足跡。それらの点が一つの線と化す可能性があります」
「我々二人の目的は、逃げた殺人犯の逮捕です。倉詩殿には、脱走補助の関与が疑われていましたが――クロと決まっていたわけではないのです」
それは前にも聞いた。倉詩があのハゲの片棒かついだせいで、結果的にあたしが銃で撃たれた。銃は警察から盗んだんだろ?
でも新情報も混じってるな。学術都市ってなんだ。学校だの研究所だの、大きな組織が絡む話になってる。
とりあえずは旅に出たが、あたしは知らないものが多すぎるんだ。そしてあたしの欲しい情報は、問い掛けるのも難しい。
でも、色んな謎はあるけど。時雨とのことは、一切絡んでないと思ってた。だってそうだろ?
たまたまあたしらは出会ったんだ。……でも、じゃあなんであの湖のそばに倒れていたのか。
「今回のことは、司法の独断です。我ら警察組織の意図とは違ったこと、それは御理解頂きたい」
「指名手配は解かれました。あなたはこれからも旅を続けるべきなのです。あなたは何よりもまず、嘉木宮様なのですから」
入れ替わりが発生するまでは、倉詩は自分の足で歩いていたはずだ。自分の意志であそこまで行ったなら。
偶然、あそこを通りがかって倒れたんだろうって考えつけてたけど。あそこにいたのは偶然じゃなかった?
時雨に会うために訪れていたとするなら、その目的は。
「ですが、出来れば――あなたには、これまでの足跡を再度、辿って頂きたいのです」
「この書類は、あなたの此処一か月の足跡をまとめたものです」
「それと、これをお持ち下さい。位置捕捉器です。これがあれば、警察はあなたの居場所がわかりますから」
「……え? あ、ああ」
やっべ。後半から二人の話が右から左へと耳の中抜けてた。何言ってたんだっけ? GPSを持っておけ?
黒い箱を渡されて、あたしは左の裾へと投げ込んだ。あれだよな、キッズケータイに仕込んだGPSでママは安心っていう。
まあ旅の自由を保障する代わりに居場所は知らせろってことか。迷子ボタン押したら迎えに来てくれんのかな?
どこ行ってもよくわかんないんだし、それくらいの拘束は気にならない。むしろ安心出来る。
「どうもありがとう」
「いえ……」
「とりあえず、この学術都市ってとこに行ってみたいんだけど。良いかな?」
書類の一番最後にくっついてた地図を出して、あたしは方角を尋ねた。コンパスがないから地図の見方もわかんないんだよ。
そもそも東西南北って概念は此処にも当てはまるんだろうか。それもわからないような状況だった。
で、いろいろ訊いてみたんだけど。とりあえず東西南北はあるみたいだし、円型のコンパスも譲ってもらった。
赤く塗られた先が北を示すというのはこっちでも同じらしい。てことは磁力の概念も同じになるのかな。
なんでもありのワンダーランドかと思ってたけど、そうでもないみたいだ。





「……なにこれ、すごい。ほらお前も見ろよ時雨」
徒歩では現在地から早くても一カ月は掛かるでしょうね。そう言われたけど、なんか三日で着いた。
いや。地図の他に資料の写真とかもくれたから、それで判別付けたんだけど。
これは写真とかなくても一見すればそうだってわかるんじゃねえかな。
思わずポロッと感嘆の言葉が出てくる。つーか、それ以外に言えねーわ。
「よく見えないよ。せめて抱っこして夕花」
「おー、お前ちっさいもんな。良いぜ」
あたしは葛籠から顔を出した時雨を両腕に抱えて、何度も同じ言葉を繰り返す。

『学術都市ミルフィゼア』
それは青い空と白い雲の下、海岸の先。大きな鉄橋で陸と繋がった、一つの島だった。
こういうのベネチアっぽいつーのかな、イタリアの。いやテレビでしか見たことないから知らんけども。
まあ観光地として相応しいかと問われれば。その真逆、最新の都会って感じがする。
島とは言っても、全貌が見えない。なぜなら、山より高い高層ビルがびっしりと生えてるから。
あのどっかにショッピングモールとかスーパーとか存在するんだろうか? あとドーナツ屋とか。
なんか生活の臭いってものが想像出来ない。ビジネス街、って説明されても誰も疑わないと思う。
島の外周を縁取る青い山脈が、申し訳程度にハンバーグに添えられたパセリみたいだ。何その間違った縮尺。
普通、ビルは山に囲まれてるもんだろ。いや確かに囲まれてはいるんだけどさ。
山が威圧するんじゃなくて、ビルが山を見下ろして威圧してるみたいだ。普通逆だろ。
しかも誰があんな高いところを利用すんだよ。地震とか発生したらどーすんだ。
日本以外の国を比較に出すにしても、山より高いビルは早々お目に掛かれねぇと思うんだ。
いや、三十階以上の高層マンションとかお隣の国じゃよくあるらしいけどさ。
この高層ビル群は景観破壊にもホドがある。いままで、森の中を歩いてたから視界に入らなかっただけなのか?
前に空を飛んでたときは全く見えなかったのに。島も橋も。海だけは見えてたけど。
うーん、人間落ち込んでるときは色々見落とすってことか?
いやでも、あんなにデカいもん目に入らないって異常だろー。いくらなんでも、気付くだろう。
「しかし、すげーわ。本当に異世界なんだな」
「驚きました?」
「そりゃ驚くよ。あたしのいた町よりずっとビルが高い」
問い掛けにそう答える。あたしのいた町にも商社ビルの集う一角があったけどさ。
高くてもせいぜい七階がいいとこで、病院のほうがよっぽど高層だった。どんな町にもある病院のほうが。
そんなんだからビルなんて見ても邪魔だなーって感想しか持ってこなかったもんだけど。
なんだろうなあ、ただ高くてデカいってだけで。気持ちがはしゃぐんだ。何これ何これ。
あのビルの天辺に登ったら、どんな気分だろう。絶対、東京タワーより高い。眺めも良さそうだし。
あんだけ高いビルの天辺なんて風速が凄まじいんだろうな。屋上があっても出入り禁止だろうなあ。
でも、その頂上に立ってみたい。今なら高い場所が好きだって言う奴の気持ちがわかる。
良いよな、高層ビル。生まれて初めて、あたしはそう思った。楽しいな。
「そうなの? 私はよくわかんないよ。そんなにニヤけるもの?」
「バッカ、何言ってんだ。お前が聞いたんだろ。ニヤけもす……ん?」

時雨以外が会話の輪に、いる。ハッとしてあたしは背中の杖に手を掛けた。
片腕に時雨を抱えたまま後ろを振り返ると、白衣の人間が突っ立っていた。
金の長い髪を後ろに縛っていて、銀縁の眼鏡を掛けている。青白い肌をした細身の……男か?
一瞬性別に迷うが喉仏と、こちらに差し出された手の平から判断をつけた。
胸がぺったんこなのは、もし女だった場合に失礼なので判断材料から捨てた。
歳は幾つだろう? 成人はとっくに迎えてるだろうけど、三十路越えてるかは微妙だ。
医者だろうか。病院なんて近くになかったはずだけど。つーか、後ろに見えるのは深い森だ。
あたしは三日で抜けたけど警察のおっちゃんたちの話では、あの森は一か月歩かにゃならんくらい広いらしい。
確かに広そうだったな、前に空飛んだときに足元見て、森ばっかり見えた。
民家も村もなさそうだったのに、こいつは何処に潜んでた?
もう誰も追跡してくる奴はいないとは言え、出所のわからない人間に無警戒でいられるかよ。
「どうも、こんにちは。お迎えに上がりましたよ」
「……誰よ、あんた」
医者じゃあなさそうだ。抱えるべき患者が発生しないだろ、こんな場所。
あるのは、前方に人気のない広大な森。後方に学術都市。
その学術都市に住んでる人間だとして、なんで一人で居るんだよ。
フィールドワークに出かけて戻ろうとしたら、あたしらに出くわしましたってとこか?
「ああ紹介が遅れました。私、ミルフィゼア所属の研究者です。そろそろ、いらっしゃる頃合かと思いましたよ」
「なんで、そうだと」
フィールドワークにしちゃあ荷物を何も持ってない。むしろ、偶然の出会いだと言うほうが疑わしい。
まあ事実を言ってるにしても胡散臭い奴だってことに変わりはねえんだけど。
得体の知れない人間に遭遇したときの対処は一つ。
知らないおじさんに着いていっちゃいけません。幼稚園児の頃から言い聞かされてきたことを遵守するまで。
適当なこと言って、こいつの前から立ち去るべきだ。誘拐者だとは思わないが他人と関わるべきじゃない。
下手打って、あたしが倉詩だってことが知れたらいけない。
「そういうものですから。それと……うさき。どうして君が、倉詩さんと一緒にいるのかな?」
こいつ、なんで時雨のこと知ってるんだ。それに、倉詩のことも知ってる。
くっそ。隠密行動で進みたいのに、どんだけツラが割れてるんだよ。
行く先々で名が知れてんじゃねえか。なに、倉詩お前人類みな兄弟か? 友達百人以上いるってか?
いや、それよりも時雨だ。喋るなよ。お前、ぜってーに喋るなよ。喋ったらヒネるぞ!
「きゅう?」
念じたあたしの想いが届いたのか、ぎゅっと締めたのが効いたのか。時雨はすっとぼけて見せた。
「きゅー、きゅう」
でも……なあ。うさぎって頻繁に鳴く生き物じゃなかったと思う。
密偵が役人に見つかりそうになったらネコの鳴き真似するっつーのはよくある話だけどさ。
普通、目線合ったくらいの気まずさでうさぎは鳴いたりしねーよ。イヌやネコじゃあるめーし。
まずったかもしんない。いや、待て。この場合間髪入れずにあたしが茶化すべきだったか?
「何言ってんだよ。こいつはちょっとばかし見た目が変わっちゃいるけどなー」
「隠さなくて良い。私は君をよく知っている。君の両親は共に、人語を理解し会話することが出来たんだ」
その子供なんだ、喋れて当然だろう。
言ってのけた科学者の瞳は何処までも普通だ。普通の顔をして素っ頓狂なことを並べ立てる。
「ねえ、うさき。君に名前はあるのかな」
げっ。そんな質問すんなよ、こいつのハートにドストライクすぎるから!
こいつは自分の名前が大好きなんだ。名乗るのが楽しい奴なんだよ!
「私は時雨。でも、あなたのことは知らないよ」
だああああ、もー。喋るなって! ぐい、とあたしは片腕で時雨を締めた。
だけどもう今更だ。ハキハキと自己紹介しくさった上に、疑問文まで投げかけた。
「そうだろうね。私だけ知ってたから」
これはもう決定だろう。どうしようもなく時雨は喋る動物だって相手にバレた。こっから先、ごまかせる気がしない。
だってさ。声にこそしないけど、時雨のやつ嬉しそうなんだもん。
褒めるつもりで締めたんじゃねえよ。抱き締めたんじゃなくて、あたしは叱るつもりでヒネったんだよ、バカうさぎ!
あーもー。コミュニケーション不足すぎるだろ、こいつ。嬉しそうな顔すんなよヒネりづらくなるだろうが。
「それで、母親と父親はどうした? 倉詩さんと一緒にいるなんて、予定外だよ」
「……ん? 予想外、の間違いだろ」
「いいえ。予定外です」
細かい言い回しに拘る奴だな。あたしの当惑を余所に、会話は進んでいく。
さすがに腕が疲れてきたから背中の杖から手を離す。喧嘩の必要は、とりあえずなさそうだし。
「あのね、おにーさん。この人は倉詩さんじゃなくて、夕花だよ。私の友達。倉詩さんは、私の師匠の知り合い」
「ほぉう? 君の師匠というのは、誰だい」
しかし、こいつの絡みっぷりはなんだ。やけに食い付きが良いじゃねえの。
それはそれで新たな疑問が湧いてくる。
こいつは研究者だと名乗った。それは、一体どのジャンルだ?
科学者といっても色んなタイプがいるだろう。メカニックだったり薬剤師だったり。
嫌な予感がする。こいつはあたしらを待ち伏せしてたんじゃないか?
「師匠はね、羽根の生えた亀なの。ワシのは鶴の翼なんじゃ、って言ってたよ。名前は……」
「ちょい待ち。それ以上、喋るな時雨」
警官のおっちゃんたちが時雨のことを、新生物と呼んでいた。
部外者だろうしおっちゃんたちに聞いたところで仕方ないだろう。そう思って、何も突っ込まなかったけど。
時雨は人為的に生み出された生き物なんじゃないか。偶発的な発生だとしても、実験動物の扱いがあったんじゃないか?
「え、うん? わかった夕花」
目の前のこいつがそれに関わっていたのなら。時雨を捕獲するために、待ち伏せしてたのかもしれない。
そう考えると。荒事になることも考えられる。森の奥にこいつの仲間がいてもおかしくないだろう。
そんなことさせるもんか。時雨はあたしの連れなんだ。いなきゃ困る。今更、一人旅なんて嫌だ。
「私は待ちませんよ、ユウカさん。シグレ、その師匠の名前はもしかしてゲンカクと言いませんか」
「なんでわかるの?」
「おい待て。待てよ。時雨、答えちゃ駄目だ」
やばい。なんつーか、やばい。こいつだけならまだしも、あの羽根亀じじいまでコトは遡るのかよ。
こいつは色々知ってる。倉詩のこと以上に、多分時雨たちのことを。
あたしの知らない情報を持ってる。得体が知れないってだけなのに緊張の糸が胸に張りつめていく。
「だから、待ちませんったら」
「いや、ストップ掛けるぜ。今度はこっちの質問タイムだ。お前、時雨の親だな」
なんでも良い、黙れ。
その一心で吐きだした言葉が、それだ。先手を取らなきゃいけない。
さっきからあたしらは後手に回ってるんだ。こっちの情報を引出されてるだけだ。
時雨は会話の駆け引きをトンとわかってない。お前、自分の出生を秘密にすべきだってこと忘れてるだろ!
「……おやまあ」
「え、何言ってるの。私のお父さんとお母さんは」
「知ってらい。喋るうさぎとキツネの妖怪だろ。あたしが言いてぇのはな……」
そこまで出掛かって、声が詰まる。そこから先を口にしたら、ぼかし気味に言った意味がないんだ。
どう続けるべきか言いあぐねる。

『ぽぉーんっ』
「時雨ーっ、遊ぼう!」
「……リゼラクト。『交渉成立』だ、連れてけ」
「『合点承知!』わー、何して遊ぼう」
『ぽん、ぼひゅっ』

なんかまあ、見事なタイミングで妨害してくれたな。
リゼラクトは何も問わずに時雨を連れ去った。相っ変わらず、姿を見せねぇけど。
でも、今のあたしにとってこれほど都合の良い厄介払いもない。
「……これはまた体よく追い払ったものですね」
「まあ、あいつが聞いて面白い話でもねーだろ? これから訊くことはよ」
これで心置きなく本題に入れる。憶測で物事を語っても支障なくなった。
時雨がいたら話が妙な方向に進む。さっきまでみたいにな。
「質問というより、尋問でしたけどね」
「お互いさまだろ。……だいたいな、こっちは倉詩のつもりで押し通すつもりだったんだ」
「あははー。そんなの無理に決まってるじゃないですかー」
「何だよその余裕は。気持ち悪いんだけど」
「私は協力者ですよ? あなたが倉詩さん以外の誰かってことくらい、知っていて当然です」
平然とスッパ抜いて来やがった。今まで誰も、言い当てる奴はいなかったのに。
警官のおっちゃんたちは薄々勘付いてるようだったけど、裏が取れてないんだろう。公言することを憚った。
でもこいつは違う。
そう、これについて情報を求めて元々来たんだ。漸く手応えのある人間に生き着いたんじゃないのか。
倉詩に技術を提供したのではないかと、脱獄囚を巡る一連の事件に関与していると思われる人物。
「へー。ついでに脱獄囚の片棒も担いでんじゃねえの?」
「いえ、違います。それは全く我々の予想外ですとも。まさか倉詩さんが我々の計画を悪用するなんて思ってませんでしたから」
嘘くせぇ。そこまでハッキリ否定されると白々しく思えてくるのは、こいつの人徳のなさだな。
そら警官のおっちゃんたちも関与を疑うわ、こんな態度ではぐらかされてりゃ。
「あっそ。あんた、長生きすんだろうなー。これ以上ねぇくらいに、図太くさぁ」
「どうも。あ、ところで失礼しますが」
急に頭を下げてきたかと思うと、そいつはあたしの着物の左袖へと手を突っ込んだ。
ごそごそと御札やら何やらの中を掻き分けて、四角い箱を取り出した。
「ったく、なにすんだよ! 本当に失礼な奴だな。……あれ?」
その箱、警察のおっちゃんに渡されたGPSじゃん。別名迷子発見機。
「こうします。あ、ちょっと火花散るので近づかないで」
次の瞬間。バキャ、とかいう音がした気がする。何が起きた?
続いてジジジ……と不穏な音と何かが焼け焦げたような臭いが鼻につく。
うん、確かに火花が散って危なかったな。でもそれ以上に、お前のが危ないよ!
「盗聴器はさっさと切って下さいよ。話したいことも話せやしない」
「え、いや。つーか何やって。あんたそれ素手……」
どうやら素手でGPSを握り潰したらしい。何その握力。それとも機械が脆かっただけ?
研究者って机の上で計算してばっかで、ヒョロヒョロだっていうのが相場だと思うんだけど。
「あなたの疑問はどうでも良いです」
「いや、手ぇ大丈夫なのかよ」
青白くって、細身で、金髪で、眼鏡で、優男。いかにも典型的な研究者なのに豪気だ、こいつ。
それとも此処じゃああれくらいの握力は常識の範疇なんだろうか。
あのGPS、転んで踏んづけたくらいじゃ潰れないって触れ込みだったのに。
「平気です。それより、あなたが来た目的は」
「……なんだよ」
「元の身体に戻りたい、といったところですか?」

科学者の問いに、あたしは固まった。
そのもの見事に欲求を言い当てられたら、身動き取れなくなった。
口を動かそうとして声が出ない。ぽっかり空いた口が塞がりもしない。
心臓をぎゅっと鷲掴みにされたかのようで。
こいつはどこまで知っている? もしかして、あたしが口をつっこむ余地はないんだろうか。
何を要求する気だ。目的もわかった上で、何をする気だ。こいつは。
「まあ、それなら立ち話も何ですし。私の研究室に来ませんか?」
「……わかったよ、降参だ」
ニコ、と笑みを貼りつけてその科学者は眼鏡を掛け直す仕草をした。
うわー。すげえ顔面殴りつけたいくらい、キザで腹立つ。
あたしは右手に握りこぶしを作っていたが、こらえた。
喋らないほうが利口なんだ。耐えろ、相性悪くてムカつくけど。耐えろあたし!
不安だらけだが、こうなったら飛び込むしかねえんだ。






続く

彼女は読み違えていた。 秘匿するべき情報と、どうでも良い情報を。 「自分は何者になったのか?」 それは科学者にとって、本当にどうでも良い疑問だったのに。 だから、読み違えていく。 彼らの会話の裏で進んでいく駆け引きが見えていなかった。

2012/08/14 誤字修正