八頁 荷物の中には
「そう言えばよ、この草原に終わりはあるのか?」
「もちろんあるぞ。始まりがある限り、終わりもある」
「じゃあよ。それを突っ切ればいつかは外に出るってことか」
「なに、そう広くもないぞ。歩き慣れた法師の足ならば太陽が昇りきる前に出口につく」
「それでも十分長えよ!」
「旅は一月や二月で終わるものではないのじゃ。それくらい我慢せえ」
「ちっ……わぁったよ。んで? 出口の目印になるもんはあるか」
「出口は、鉄の扉と繋がっておる。そうじゃの……調子が良ければ五日とかからず人の集落へ着くだろう」
「意外と近い……のか、それ」
「うむ。そなたにとってはな。わしらにはとても遠い。何年とかかる。さて……」
羽根亀は、どこからともなく葛籠箱を出して、餞別だと言うとすぐさまどっかへと去っていた。
背中の羽根を羽ばたかせてピューッと。地面を歩くでもなく。目をこすって疑ってるうちに奴は消えた。
速いんじゃねえのか、あれって。地を這いつくばるしかねぇ亀と比べてみろ、五十倍速だ。
あれはトロイって言わないと思うぞ。誰が見たって。人間の徒歩より速かったぞ、あれは。
あたしの足で半日とかからないって言ったのに、あれで何年とかかるって絶対嘘だろ。
まあ、羽根亀の移動速度なんてどうだっていい。夜が明けたんだ、さっさと出発しよう。
「……行くか」
餞別に与えられた葛籠を担ぐと、ずっしり中身の詰まった重さが肩にのしかかった。
左手で錫杖を構えて、しばらくはそれに上手く体重をかけることの模索をしながら足を動かした。
何処までも続くような草原をひたすら直進し、とりあえず扉とやらを見かけるまでは歩き続ける。
どれだけこの草原が広大に見えても所詮は建物の中なんだし。いつかは壁にぶち当たるだろう。
仮にこの箱庭の天井が吊した太陽代わりのライトが見えないくらい高いにしても。
建物の端に着きさえすれば、あとは簡単だ。壁に沿って歩けばいつかは扉が見つかるだろう。
そうアタリをつけて歩いていると、確かに空高くから降り注ぐ光が輝きを増した頃に見つかった。
絶え間なく続いていた草の群生が途切れ、土は緩やかな傾斜をなして、層を薄くしていくその先に。
土の敷物もなくなり、金属の床がのぞく。それと地繋がりで、一枚の鉄扉があった。
見上げれば、青く塗られた金属質の壁ばかり。水平線の彼方だと思っていたのはこの壁だったのか。
背後の穏やかな草原は、本当に建物の中に作られた広大な擬似の世界だったんだな。こっから先が本物の外。
あたしは一つ息を吸って、扉のドアノブを握ったところではて、と動きが止まった。別に気後れしてるわけじゃない。
「何か、忘れてるような…………あーーっ! キツネ耳っ」
羽根亀に頼まれてたのに、すっかりあいつのこと忘れてた! どーりでつまんねえと思った。話相手がいねえじゃん!
ケータイとか無線とか、ねえかな。あの羽根亀と直通の。キツネ耳何処にいるんだ、今。
望みをかけて、ぱかっと葛籠の箱を開けると心配の種がそこにいやがった。
どうやら扉のど真ん前にいながら、来た道引き返す必要はないみてーだが。
「おい、なんでお前まで詰まってんだよ。この中に」
箱の中には石とか火付け道具とか、わけわかんねーもんがいろいろ入っていた。
そして、それに埋まるようにしてキツネ耳が顔だけ出していた。なんかぷはぷは言ってら。
「よいしょ、うんしょっ……あたっ、うー……師匠に詰め込まれたんだよ!」
箱から出てから、ようやくキツネ耳はそう言った。もちろん、出て来こうとした時に箱が倒れた。縦長だからな。
「それで重かったのか……ところで、こりゃ何なんだ?」
「さあ? 師匠長生きだから、いろいろと物持ってるんだよ」
弟子なら分かることもあるかと聞いてみたが、結果キツネ耳もわからなかった。
あたしにもわからない。お手上げだな、早くも。
「カイロ……なわきゃねえよなあ、そんなもんあってもそう役に立ちやしねえし……」
目線より上に持ち上げて振ってみる。何も音はしない。それにこの微妙な感触はなんだよ?
いっちょ袋から出してみっか。
あたしはわけのわからんものをちょいと一つ、袋から出してみた。
『ボンッ』
小さな爆発音と共に煙がモクモクと……あたしとキツネ耳は呆然とそれを見つめる。
「うおっ。テント、なのか?」
煙が晴れたときには目の前にどーんと大きなテントが構えられていた。天幕っつーのか、これは。
「何これ………」
キツネ耳が間抜けな顔をして突如現れた天幕を見上げている。
この展開だとあの有名な青ネコと同じじゃねーかよ。まったく二十二世紀かっつーの。
田舎なのに不似合いな程立派だったろう工場。やけに整備されつくしていた内部。
とても発展途上とは思えない。あそこになるまでにはまず、多大な代償を払いざるを得ないのに。
それに、この目の前の天幕とキツネ耳。現代技術で動物が人間の言葉を話させるなんて不可能だ。
「夕花、これどうしまうの?」
はっ。あたしとしたことが……取り扱い説明書とかあるだろ。悪くても何か、羽根亀からの伝言が。
あたしは箱の底まで漁ってそれっぽいものを見つけた。本か? 名簿みたいなつくりをしてる。
縦書きで指南書と書いてある。達筆な字だな……どうやってあの足で書いたんだ? 目次はなかった。
ぱらぱらとめくっていると、天幕の取り扱いについて書かれている箇所を見かけた。
「なになに……天幕ん中の起動装置を切る、と」
あたしは天幕に入ってみると、中は見た目よりもずっと広いことに少し閉口した。
四次元空間なのか? 縦横高さ圧縮とかいう。ますます青猫だな、こりゃ。別に良いけどよ。
「ん、あった。これだな」
いろいろとスイッチがある中で一つだけ大きく赤い丸ボタンを見つけた。
『ポチッ』
…………定番だからこの際つっこまないでおこう。
スイッチを押して天幕を出るとひとりでに天幕は縮んでいく。面白いな、便利な上に。
「これは使えるな、必需品だ」
で、次。あたしとキツネ耳は、これはどうだあれは何だと言いながら全部中身を点検した。
結果すべて捨てるようなものはなかった。金銭らしいものは一銭一円も入れられてない。
ちっ。せめて食料を買えるくらいの金をいれときゃ良いものを。働けってことか?
食材もいくらかあるにはあったが、なんか使い道のわからん物が半々だったし。いつか食糧は尽きるってのに。
いや待てよ。動物が金稼げるわけねえよな、普通。拾えるものだとしても金落とす馬鹿はいねぇ。
そう考えると仕方ないか。あがいたって亀が働けそうな場所なんてなさそうだ。
「あっ。いけね、まだ扉の外にも出てねえじゃん!」
出口の前まで来てるってのに、いつまでもうだうだしてるわけにはいかねえよ。
葛籠に中から出したもんを全て詰め直して、背負う。キツネ耳が抜けた分、少し軽く感じられる。
背中の荷物一つと錫杖一本と、旅の連れ一匹がいることをしっかり確認した後、ついに扉を開く。
出口をくぐれば一陣の風が頭のてっぺんから爪先まで、全身を通り抜けた。
「うおう」
「ひゃあっ」
風の煽りを受けて、鉄の扉はパタンという音を告げて閉まった。
一度だけそれを見つめた後は、もう振り返ることはせずに歩き始めた。
錫杖を鳴らしながら前を進むあたしの後ろを、キツネ耳が手を揺らしながらついてくる。
草原にいたときには見なかった雲が流れながら形を変える様をひどく楽しんでいるのがわかる。
何処にでもある雲なんて見てて楽しいのか、とたまに聞いてやるとこくこく頷くんだよな。
てくてく歩きながら、たまにあたしから話しかけるとキツネ耳が一言二言、言葉を返す。
その光景は本物の太陽が空を焼きながら地平線に沈むまで途絶えることはなかった。
「そろそろ、休むか。もう真っ暗だしな。おいキツネ耳ー」
「だから、私はキツネ耳じゃないよ。うさきだってば!」
ちょんちょん、とキツネ耳の肩をつつくと叫ばれた。
なんだよ、今さらな奴だな。あたしは昨日からずっと、さっきまでそう呼んでたじゃねえか。
「あのなー、うさきっつーのは種類だろ。キツネ科うさき、じゃねえのお前」
「何それ。とにかく、私はキツネ耳って名前じゃないもん!」
そんくらいでぶーたれんなよ……。何かしんねーけどキツネ耳と呼ばれるのはそんなに嫌。
つっても、うさきって呼んだら他の奴と区別つかねえじゃんよ。うさぎと似てるし。
「もしかして名前ねえのか、お前」
そう普通に聞いただけなのになぜかキツネ耳は激怒した。
「名前なんてもらえるわけないじゃない! 間に生れ落ちた存在は疎んじられて軽蔑されて……」
怒ったのかと思えば涙声だ、わけわかんねぇな。普通生まれた時にもらうだろ?
どんだけ親に嫌われようとうざったがられようがそれでも希望を込めた名をくれるぞ。
「覚えてねぇってわけじゃねえのかよ、おい。最低の親だな。名前すら与えないって、身勝手にも程があるんじゃね?」
「父さんと母さんだけで決められるもんじゃないよ! 一族に祝福されてようやく名前をもらえるの」
つまりこいつは親は悪くないと言いたいらしい。一族とやらに祝福されなきゃなんねーとはまた面倒な。
血縁者が子供に命名したらその名をどっか目につくとこに貼ることはあるけどよー。
「お前さ、まずは怒るか泣くかのどっちかにしろ」
で、こいつは名前がねえからうさきで通してるわけだ。渋々。
「でもうさきっつーと呼びにくいだよ。そんなに言うならな、あたしが勝手に名付けるぞ」
そういうとキツネ耳が間抜けな顔をしてみせた。何だよおい。あたし変なこと言ったか。
キツネ耳はもごもご口を動かすばっかりで、出る言葉といえば。
「え……でも、そんな」
とかで嫌だも何だも言いやしねえ。ずっと見てるばかりじゃ進展しそうにない。
「そうだな、日本語でつけっか。あたしが呼ぶんだし。漢字は二文字でー」
ほれほれ。あたしに適当な名前つけられたくないなら文句でもいいから何か言えよ。
本当に適当な、シロとか鬱助とか付けてそれで呼び通しちまうぞコラ。
「待ってよ、一人じゃ名前はつけれられるものじゃないんだよ!? 考えたところで」
あいっかわらず後ろ向きだな、こいつ。発想の転換が必要なんじゃねえのか?
「てめぇの一族が認めねえならあたしが認める。動物が認めねぇなら人間が認めてやりゃ良いんだよ」
要は数人がそれがお前の名前だと決めれば良くて、それが二人か何十人かの違いなんだろ?
親だけが決めれねぇんなら範囲広げて世界じゅうの人間に認めさせてやれ。
旅やってるうちに認めさせれば良いだろ、そんなもん。
名前なんざそうやって決めれば良い。
そうキツネ耳に言ってやると唖然としたのか黙った。
「それで良いだろ。これでも無理っつーこたぁねえよな、つか言ったらその首絞めんぞ」
「それは……そう、だけど」
こいつ暗いし雨のつく名前はいけねぇよな。もし入れるんなら陽とか晴が良いな。
でも光は女の名前にはいれねぇほうが良いか。そーだ、こいつにも要望きくべきだ。
「お前なんか希望とかあっか? 名前ってのはつけたら一生替えれねぇ。言うなら今のうちだぞ」
キツネ耳は途惑いがちに口を開いた。
「え、ええと……月」
「月? 月のある名前が良いのか?」
あたしがきくとキツネ耳は首を横に振った。なんだ、違うのか。
「母さんの名前にそんな文字があったから……」
「まあ、そこは考えといてやるよ。じゃあ父親はどうなんだ?」
「父さんは、笙。笛の名前なんだって言ってた」
「月と笙か。そーだな」
あー悩む。明……いや、これは。朋はどうだ? んー、これもなぁ。夜空にあいそうといえばハープなんだが。
睦月、如月、卯月、皐月、水無月、葉月、長月、神無月、霜月、望月、新月、三日月……駄目だな。
笛と月で……名前つけるのって結構大変なんだな。こりゃ、直接キツネ耳の名前に組み込むのは無理だ。
笛っつーのは難しいしな。せめて月を思わせるような……ぐあー、なっかなか決まらねー。
月の白とか。純とか良さそうだな。よし、あと一文字。しかしこれもまた……漢和辞典ありゃ良いのにな、くそう。
楽とかよさそうじゃねえ? 楽純とか純楽とか。いや、すぐ決めていいもんじゃねえ。もっと吟味すべきだ。
笛は由と竹から成り立つ字だろ。いや、それなら笙は生と竹だから……生きてるとかそんなのが良いな。
じゃあ創ってどうだろう。なんかすげえ感じがするけど。あと淡くてしみじみしてて情緒、落ち着いてるものー。
海、空、森……海は繰り返しで空は果てない、森は共存……なんか違う。あ、日没も良いなぁ。
でもやっぱしみじみしてると言うとな。
「別にそんなに悩まなくても良いよ、夕花。私の名前なんだし」
「そうか? あー、頭が痛むな。んじゃほんとにぱっと決めちまうぞ?」
「うん、それで良いから。文句言わないよ」
「時雨、ってのどうだ? お前の性格考えてどうかと思ったんだけどよ」
やっぱしみじみするのは雨なんだよ。ぽつぽつと少し冷たいくらいのがちょうど良い。
「時雨、かあ」
「やっぱ駄目か。月とも関係ねえし」
あたしがそう言うとキツネ耳はううん、と首を振った。
「時雨って冬に降る雨のことなんだよね。その季節は空がきんと澄んでるから」
「そーいや、月が一番くっきり見えるのは冬だっけか」
なら良いか。結構キツネ耳もぽんと出た名前のわりには気にいってるみたいだし。
「ありがとう、夕花」
「おー。んじゃこれから頼むぜ、時雨」
気づけば空には山から月が顔をのぞかせていた。あ、そろそろ飯の仕度にかからねーと。
野宿は川に近い砂利の上ですることにした。水の確保は重要だからな。
夕飯は葛籠の中に入っていたレトルトパックのシチューを食うことにした。
そういや、こっちの世界に来てから始めての食事だった。よく今まで持ったな、腹が。
そう考えるとレトルト食品なんて食ってていいのかとも思ったが、まあ手軽だし。
食材はあるにはあるが月明かりの下、今から作り始める気にはならなかった。
川へ水を汲みにいくうちに、圧縮されてた金属の丸い塊は中から外へ広がって鍋の形になった。
それいっぱいに水を満たして、焚き火の囲いに作った石の上にそろりと置いた。レトルトをゆっくり浸す。
本当は沸騰してから入れるもんだけど、いつ石の囲いが崩れるかわかったもんじゃねえし。
適当に大きめの石選んで積み立てたもんだからそこかしらの穴から炎が爆ぜる様子が見える。
アウトドアの知識なんて持ってねえもん。いざ熱湯から取り出すときは圧縮解凍済みの火鋏でパックをつまみ出すんだ。
じーっ、と湯が沸騰する瞬間を待ちながら火鋏を油断なく構えているときのことだった。
川のせせらぎや木や草がこすれ合う音といったものの一切の音がふっと途切れた。
『……ようものならば裂いてくれよう……』
ん。なんかさっき空から声が聞こえたよーな。気のせいか?
『どうか失望させないで』
まただ。しかもさっきとは違う声がしたぞ? ぎょっとしてあたしは空を見上げた。
「うおっ!?」
空に浮かんでる、いや佇んでるのは白いうさぎと黒いキツネだった。
ちょっと待ってよ。キツネの尻尾、九本あんぞ。おいおい、それって。
「かあさんに、とうさん?」
「何っ?」
あの白うさぎはともかく九尾のキツネが親なのかよ……まじでキツネとうさぎから生まれたのか、こいつ。
あれって単に九尾っていうか……妖怪、だよな。こっちじゃ牛に頭が二つあろうと尻尾が九本だろうとただの動物なわけ?
『時雨』
その言葉を耳が聞き入れた途端にすっ、と下からうさぎとキツネの体が揺らいで消えた。なんなんだよ。
あたしが首を傾げている間に白うさぎと黒キツネは完全に消えてしまった。夢、なんてことはねえよな。
なんだんたんだと空を見上げても何もいやしない。あるのは暗闇と月と星だけ。光るもの以外には闇に映るものはない。
ほけーっとしていると耳に音が戻ってきた。水の流れる音、風に揺られて草花がざわめく音。ぼわん、と水泡のはじけた音。
「あ、沸騰してら……」
気づけば、湯気が夜空に昇るほどに十分熱されていた。今度は早くレトルトを取り出さなきゃならなかった。
「あちっ。ててて…………なあ、さっきのありゃ何だったんだ?」
熱湯の中から取りだして結構時間がたってから開けようとしたのに、パックの端に触るだけでも火傷した。
思わず耳たぶを掴みながら、これまた時間のたった話を時雨に振った。こっちのほうはそろそろいい聞き頃だろ。
「父さんと母さんが認めてくれたんだ……」
「は? あれ、やっぱお前の両親なのか?」
「うん……わざわざ命名のために戻ってきてくれた」
そう言うと時雨はぐじぐじ泣きながら目を両足で隠していた。いっちょ前に泣き顔見られたくないらしい。
「そーか。すげえ根性だな、お前の親。良かったじゃん」
それだけ言うと、他にやることも見つからなかったからぐりぐり頭を撫でてやった。
レトルトパックはまだ開封できそうにない。……時雨が泣きやむくらい、待つか。
なんだかんだで、ようやくの飯にありついたときは月が頭の真上にまで来ていた。
最初に月を見つけたのが山の近くだったから、結構時間がかかった。
まあ慣れない野宿で焚き火一つを作るにも大変だったし、薪になりそうな木を拾わなきゃならなかったし。
葛籠の中身を夜になってから確認してたなら、もっと時間がかかっていたかもしれなかった。
それを思うと、一から料理を作ろうなんて考え起こさなくて良かったぜ。レトルト食品さまさまだ。
皿を出すのもめんどくさくて、パックにそのまま口をつけてぐびぐび飲んだ。時雨もあたしの真似をしてちまちま飲む。
それでもレトルトのシチューが美味く感じられるあたりが如何に苦労したかを物語ってるよな。
「ぷはーっ……ん。おい、焚き火に近すぎだ。そんなに寄ってると」
「ひゃあっ」
火の粉が時雨のほうへと風に流され白い身体に触れた。時雨が短い腕で耳を守ろうとするが届かず宙をかく。
あたしはそれじゃ届くわきゃねえ、と呟いて火鋏で焚き火をかき混ぜる。少し無言の時があたりをつつんだ。
車の通り過ぎる騒音も、無機質なテレビの音声もない。虫の音が途切れ途切れ耳に辿りついては消えいる。
飛行機の轟音もなければネオンの光もない。電柱も見当たらなければ民家の明かりも見当たらない。
ほんとに田舎だな、ここは。日本じゅう探したってこんなに何もねえ場所はありはしないだろうに。
「さて、もう寝るぞー」
こんだけ何もなきゃすること見つかんねえ。こういう日はさっさと寝るに限る。
焚き火はレトルトを暖めた湯で消した。昼間見つけた天幕を出し、葛籠箱の中から布団を出してそれを敷く。
やっぱ布団は良い。ほんっとに今日はよく寝れそうだな!
こうして旅の初日は何事もなく始まりを迎えた。
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