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十一頁 不敵な笑みの法師







牢屋に入れられて一夜経った。つまり、ちゃんと寝れたってわけだ。
昨日の事は、時雨の奴の顔を見たらどうでもよくなった。不思議とな。
あいつの顔を見ると暗い考えより、時雨のボケを正すことを言わなきゃならねぇから。
そうやって、誤魔化す。誰の為でもなく、自分を誤魔化すために。
そんな考えがぼんやり浮かんで、まあそれでいいかと思った。
前に進めなくても良いだろ? 横にそれててもそれはそれで何か得るものがあるさ。
そんな屁理屈並べて生きてきゃ良い。とりあえず、そうやって旅をする方針にした。

何かをやるためには、まず生きてなきゃ始まらないんだから。死ぬなんてことは考えない。
寿命は尽きる。ほっといても人間、年をとっていつかは死ぬ。死から逃れることは出来ない。
でも、その死は明日や明後日に訪れるものじゃない。
一年後の自分も想像できないのに数十年後に恐怖出来るか? あたしには出来ない。
医者に余命を宣告されても強く生きようとする人が世の中にはたくさんいるんだ。
そんな人たちに、背を向けることが出来るもんか。生きたいなら足掻けばいいんだ。
たとえこの身体は罪を被ってるとしても、あたしの心とは別なんだから。

暗い考えに浸ってばっかりいたって埒があかねえ。何やってでも逃げてやる、こうなりゃ。
錫杖奪い返して、時雨とここを脱走する。その時誰かを傷つけても踏みとどまらない。
ただ、重傷を負わせないような……軽い、傷ですませよう。悪くても気絶程度で。
できるはずだ、この旅慣れた体なら。力加減さえわかりゃ。
利用できるもんはしつくして、ルパンほどうまくはいかないにしても。
そう考えて、あたしは今までをふり返った。別に反省する為じゃねえぞ、あたしは罪人じゃねえ。
罪そのものから逃げるんじゃない。あたしは無罪だ、倉詩は有罪かもしれない。
この身体が罪を持つというのなら、あたしは倉詩をこの身に戻して罪を贖わせる。それが筋ってもんだ。

完全に吹っ切れたあたしは逃亡のために、まず町の風景を思い描いた。
この世界は極端に差が開いてて、生活水準レベルはわからねぇけど……
此処は平成の時代くらいってとこに思えた。町を見た感じでは。
人間には3種の神器とかいうもんがあるらしい。もとは鏡と剣と勾玉。
で、時代時代によって神器っていうのは変わってくるものらしい。
だいたい年号が変わった時には異なってくる。戦後からは電化製品が神器だ。
それを頼りに判断してみよう。
この町でよく目につく看板はパソコンやテレビを売ってるところ。
ばりばり現代日本並みだった。よくわかんねぇ世界だから驚きやしねぇけど。

で、牢にあるベットはまずまずだった。堅かったが、一般庶民のあたしには別段どーってことはない。
ご丁寧なことに洗面台には鏡までついてる。端っこは欠けてるけどな。トイレもあるし。
一応最低限必要なものはある。でもテレビは備え付けられていなかった。本棚は置いてあるけど。
よくある古典集、なんてタイトルの本が目についた。どーでも良いけど書かれてる言葉が日本語じゃねぇな。
……って、待てよ。なんで日本語じゃねえのに言葉通じんだ? 英語とかなり初歩の中国語くらいならまだしも。
日本語をずっと喋ってたぞ、あたし? いきなり外国語なんて扱いこなせるわきゃねえ。例外も一応いるけどよ。
でもあたしが異国、いや異世界の言葉を扱うことも。この世界の人間が日本語を扱うのは無理だろ?

なんとなくベットの上に寝転がって、あたしは考えてみた。なんで言葉が通じるのか。
普通、知りもしない世界の言葉はどれだけすっ転んでもわかりゃしないはずだ。
自分の身一つ、常時持っているもので他に役に立てそうなものはないと言って良い。異世界では。
体が異世界に飛んだ時に五体満足のままあっても、自分が使っている言葉は通じない。
どこでも使えるのは物音をききつける耳と物を見る目。動くための足と手。
言葉が通じないことは相当厳しそうだが……あたしは通じた。
長いこと考えて出た結論。この体はあたしのものじゃない、ということだった。
記憶を失っても言葉は喋れる。それと似たようなもので体が言葉を理解してるのか?
いや、そんなことはありえないはずだ。過去に起きたことは脳が全て記憶してる。普段は思い出せなくても。
だから記憶の大部分を失っても言葉に難儀しない。でも、だったらあたしは違うだろ?
あたしの思考経路が今までと変わったような気はしない。これ以上哲学的に考えると頭がこんがらがりそうだ。
ってことは、この体にはこの世界の人間の倉詩の記憶が残ってるのか。あたしの記憶も同じことが言えるか?
わかんねぇ、頭が重たくなってくる。とりあえず完全にあっちの世界とは途絶えてねえのか。
ああっ、もういい。言葉が通じてるんならそれで。くだらねぇことに時間割いちまったな。



ぼーっとしてたら眠くなって、一瞬のうたた寝の後に窓から多量の橙色の光が差しこんで来るようになった。
あたし、何がしたかったんだかな。過去を振り返る、だったか?
夕焼け、綺麗だな。うたた寝だと思ってたがずいぶん長い間浅い眠りをしていたらしい。
寝たわりには体力が回復したようには思えなかった。今日の晩寝れっかなー。
何かすることを与えられるでもなかった、それでも時間は動いていて日は暮れゆく。
一日、無駄にしたという思いだけがした。朝と昼の飯を食べたくらいで他には何もしなかった。
時雨がちょこまかと物珍しそうに動き回っていたのだけが見ている対象だった。
こんな状態の日がずっと続くのかと思うと、今から逃げようかという考えが浮ぶ。
あたしにはこんな場所にずっといる余裕なんてないんだ。あたしをあの世界に返せる奴を見つけなきゃならない。

それでも晩は眠ることができた。何故か寝ることがもったいないような、そんな気がした。

『キィッ』
耳障りな音と共に牢屋の戸が開かれた。今日になって裁判でも開かれるんだろうか?
重いまぶたを開けて戸を開けた奴を見ると、二日前にあたしを捕まえたごつい親父と優男。
なぜか二人の顔はあたしよりも暗い。なんでそう暗い顔をしているのかこっちが聞きたい。
警察をずっとやってんなら、そう親身になることもないだろ。罪人相手に。
初めて優男のほうが口を開いた。
「倉詩さん、ついてきてください」
ってあらっ? あたしは肩すかしをくらったような気がした。
「わーってるよ」
あたしは返事をして牢屋から出た。ついでに葛籠箱、もといその中に入ってる時雨も連れて。
こういう時にはなにか重要な部分があると思うだろ。しかもこいつら、罪人相手に敬語だしな。
そんな低い物腰じゃ聞きだせるものも聞き出せねぇぞ。こっちが心配する始末じゃねえか。
「あの、倉詩さん」
目の前を歩いてた優男が振りかえり表情曇らせて声をかけてきた。あたしが変なこと言ったか?
「なんだよ?」
そう返事をしたら優男とごつい親父は前で顔を見合わせた。なんなんだよ本当に。
「相葉さん、この人は本当に倉詩さんなのでありましょうか……?」
「容姿に違いは無いが、お言葉が……」
ひそひそとやってるつもりだろうがかなり聞こえてんぞ、あんたら。意外とこの二人、鈍い。
それともワザとやってるんだろうか。……ここまでよく聞こえるんならワザとだな、多分。
でもあたしがこの二人に事実を言っても信じないかも知れない。第一、あたしとしても説明しづらい。
あたし、本当は倉詩じゃねんだと言ったところでこの体は倉詩のものだ。
倉詩じゃないとはっきり証明するのは科学でも無理だろうしな。違うのは魂とかそんな目には見えないもんだけだ。
自分がそうならないことにはまず理解できないだろ。よって言う意味なし。


優男プラスごつい親父。そのコンビの後を付いていきながら、あたしは昨日の事を思い出した。
脱走の手段に役立つものはないかと、過去を振り返ったんだ。この世界に来てからの。
カジノでぼろ儲け。……いや、それ以外ことを何か思い出せあたし。
質屋、宿屋、遊戯、賭、ドーナツ。テント、自炊した。雀が喋った、時雨も喋る。
つーか、時雨の親は九尾の狐と白兎ってどうなんだよ。結局妖怪だったのか、あいつは。謎だ。
あー、あとはあの亀だ。甲羅に羽根生やしてた、時雨の……あ。
ちょっと待て。いや、待つな記憶逆戻し三倍速で良い。羽根亀に会うまでの記憶だ、重要なの。
落とし穴に落ちた。時雨を追いかけて。落ちた穴から抜けれたのは……あたしに翼が生えたから。
……おお!? いける、脳内計算機で計算してみるまでもなく、確率九九パーセント!
あの宝玉使ってあたしが空飛んで逃げりゃ良いんだ。空飛べるなら何かと好都合だしな。
ついでに錫杖も回収しとけるかもしれねえ。よし、決定。
折を見て時雨にあの宝玉出させよう。あいつ、確かどこからともなく剣を出したし。
あの剣からぽろっとあの宝玉はとれた。それがあたしの体に触れた瞬間、背中に翼が生えた。
飛び方を知らなくてもあの時は逃げれた、今度も逃げれる。

考えがまとまったところであたしは現実に戻った。
……ところで、今は何処に向かってんの? この二人にどこかに連れてかれてっけど。
処刑場につくにしては遅すぎねえか? やけに遠い。処刑場、っつたら魔女裁判ってのが思い浮かぶけど。
さすがにそれはねえよな、時代錯誤すぎる。それにこの身体の職業はいかにも法師だし。
ま、勝算は出来てる。どんな局面になろうと逃げてやるぜ?
一度決めたからには諦めない。可能性と希望が目に見えなくなろうが、逃げ切れなくとも。
普通の人間でもやりゃできる。ましてやこっちは時雨とあたしがいる。
切り札はたくさんなくても勝てる。勝敗はいつ切り札を使い、それを生かすか。
それを読むことになら、自信がある。トランプのように思えば良い。
「倉詩さん?」
優男が振り返ってあたしの顔を見た。なんだ、まじまじと見つめて。
「ん? ああ、どうかしたか」
「いえ……あなたは、これから試されるのに怯えられないのですね」
試す? はんっ、やれるもんならやってみな。賭けは相手の力量を読んでやるもんだ。
試されるってくらいのことで物怖じしてりゃ取れるもんも取れねぇぜ。
優男に言い放つその時、あたしは微かに自分が笑ったことに気づいた。恐怖なんて消えた。
「そんなもん、上等だ」
「……では、これを」
横のごつい男から差し出されたのは、あたしが持っていた錫杖だった。あ? なんで渡すんだ。
っていうか、いつ持ってきたよ。牢屋の前にいた時は持ってなかっただろ。
優男とごつい男、その二人が前をどいた。そのときあたしは、やっと目の前のでかい扉に気づいた。
それは外側から内側に押され開かれる。
「あなたには、身の潔白を証明して頂きたかった。私たちには信じられない。ですが」
「今日、あなたは処されます。裁きだとは言いますが、むごい……刑罰です」
ごつい男と優男が何を言ってるのか、あたしは聞かなかった。
開かれた扉の先へ、自然と足へ進めていたからな。
賭けは始まった。
その言葉だけがあたしの頭に閃いていた。





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少女は勝機があることを悟った。 勝負ごとになら負けない、あがく余地があると。 そこに自由の象徴の空がある限り。 地面に繋ぐ鎖から放たれていると理解している限り。