十二頁 剣よ翼となり、経路を示せ
「罪人、倉詩。そなたは法師という聖職、元嘉木宮の身でありながら上位である天原にことわりなく通じた」
幾層もの真円を広げる客席から見下ろす観衆より更にその上から、自分が裁く者であることを疑わない声が告げる罪状。
「これは天系地令、重門の律に反すものである。違反者は利き腕の切断に処す」
場が僅かに盛り上がり籠もる熱気。裁かれる当事者の喚きなどその熱の前には刑の執行を急かすものでしかない。
「それだけではない。そなたは前科のある殺人鬼に自ら接触を持ち、天原に送りこんだ」
「これは天系地令、越線の律に反す。違反者は両足の切断に処す。又、囚人逃亡の関与者は舌の切断に処す」
重刑はあるだろうと予測はついていた。そして、この見物者共を前に、たったそれだけの軽い処罰で済むはずもない。
「又、二度とそなたに神聖な力を悪用させぬ為、聖霊の声を聞く耳、姿を見る眼、匂いを嗅ぐ鼻を潰す」
それはつまり、人としても動物としても生きる余地を一切与えぬものであり生き恥を晒せということだ。
「……何時の時代のジャッジだよ、てめーは」
洩らした呟きを聞き取る者などこの場には誰一人いないだろう。観衆は残虐性を求めて騒ぎだしているのだから。
それとは対照的に、あたしの周囲は静寂に満ちている。地面に置いた荷物箱の葛籠を時雨は身の振るえで揺らす。
この場に引っ張り出した警官二人は名目上あたしが逃げぬようにと寄り添い立っている。多分、悔やんでるんだろう。
そして、審判とガンを飛ばすあたし以外の者は一様に審判席の遙か真下、鉄柵の向こうを見据えている。
「しかし、そなたは今となっては世に一人しかおらぬ法師である。処される前にその身を以て……」
陰りの中で餌食になる物を求める血眼は標的が定まった時にまずきらめく得物だ。
「哀れな獣を葬り、神前にその身を捧げることを赦そう」
言い渡す罪状など所詮、余興のファンファーレ。実刑は獣による死刑。ギロチンより趣味が悪い。
まあ、コロッセオは殺し合い以外に強姦にも使われたという史実を目にしたこともあるから今更、驚きやしないが。
だから勉強なんざ嫌いだっつーの。歴史は何にでもついて回るから国語も理科も嫌いだ。公式なんて覚える気がしねぇ。
しかもタイムスリッパーじゃあないが歴史の目撃者になっちまった今となっちゃあ、阿呆すぎて言える言葉がない。
浮世離れしてるぜ、こんな死刑。首チョンパで済ませば再犯なんてしたくても出来ねえってのに。
裁く奴も裁く奴だ。この場にはまともな神経が通ってそうな人間あたしと下っ端警官の二人しかいねえわけ?
ジャッジこそ厳かさを強調した何処ぞの王みたいな格好だが、日があたるとまぶしいとこからあれは宝石つけてんな。
その他、観衆は包み隠しもせず派手な服装してるいい年したぼっちゃん嬢ちゃんがわんさか、だ。
「時代錯誤にも程があるぜ」
「解き放て」
それは形のみの二重の掛詞か。本音としては法師など全滅してしまって構わないってとこなんだろう、世間の風潮は。
溜息をつく間には執行者との間を隔てるものは取り外された。警官二人は去り、見下ろされるのは法師ただ一人。
獲物を逃すことなどない専用の狩り場にゆったりとして現れた獣の雄叫びが、執行を告げる最後の鐘。
余裕綽々の執行者は足場をざりざりと撫でながら頃合いを測っている。奴にとってこれは冗長な遊びだ。
まあ、その慢心に付け入らせて貰うがな。奴の態度を見てで確率は絶対のものになった。
「おい、時雨っ。出てこい!」
荷物箱を担ぎ、小声で呼びかけるってわけにはいかなかった。ガタガタ震える音がうるさくては声も大きくなるぜ。
「あいつ……何?」
情けない声色の弱さに振り向いて見やれば葛籠の蓋を頭で押し上げて見せた顔に怖いと書いてあった。動物的本能か?
「知らねーよ。それよりお前、あの剣の宝玉貸せ。逃げるぞ」
「え、だだだだめだめだめだめめめぇっ!」
「はあっ!? 何言ってやが……ちっ」
いい加減爪研ぎにも満足しちまった獣が駆けだした。距離は十分あるとはいえ、射程範囲に少しでも入られると困る。
地上にいる動物の中で鈍足に位置する人間が遮る物のない真っ平らな地面で捕まるのは時間どころか秒単位の問題だ。
「お前は死にたいのか!」
「こんなに法力で包囲されてる中で宝玉使ったら壊れちゃう!」
「なんだよそれ!」
「法力と魔力は相殺しあう関係なの! 今この空間は魔力にすごく不利なの!」
「宝玉は魔力タイプかよ。普通翼生えるっつたら聖霊化だろ、坊さんの神通力とかじゃねえのかよ!」
「普通法力なんてもともと絶対量少ないもん! こんなに法力があることのほうがおかしいもん!」
「んなもん知るかあぁぁ!」
「これだからニンゲンは!」
「その一言は余計だっ、とにかく出すもん出せ!」
「師匠こいつから助けてぇ──!」
「助けてもらいたいのはこっちだぁぁぁ!」
ぐだぐだと口角を飛ばしながらも時雨がさっさと出さねーからあたしは袖の布余りのとこに手を突っ込んで札を探す。
一応牢屋に入った最初らへんに袈裟の中身は全部出して確認した。確か攻撃用っぽい呪符は右にしまっておいた。
「おい、これは法力と魔力のどっちだ」
「法力系。ほんとにこの身体の持ち主は法師なんだね、腐っても法師は法師」
「その言葉そっくりてめえに返すぜ、魔法検査機。これどう使うんだ?」
「適当に何か言って投げる」
「使い方知らねえならそう言え。最初なら赦してやる」
「本当に適当だもん、嘘じゃないよ!」
もううだうだ言ってもられねえ。獣の射程が信用するのかしないのか二つのうち一つを選べと迫ってる。
今は回避と逃亡の選択肢が抜けてる。それを引き戻すには必ず退けて間合いを取らなきゃならない。
信用するのかしないのかは、そのための二択だ。
「……時雨が死んでも知らないからな、あたし」
「夕花が呪符を使えばまだ死なないよ」
「そーかよ。んじゃま、テキトーに」
何を言おうかと息を深く吸い、手にした札を一段強く握った途端身体が制御を失った。
歯が勝手に動くもんだから舌を噛む。なのに腕は口許を押さえようともせずわけのわからん指振りをして札で空を切る。
空いてる手はない。錫杖を持ってる手は手で杖の先で地面をどつくもんだから飾りの輪が耳障りに音を立てるし。
『我が身に降りかかる全ての厄災を払い給え、荒ぶる魂は山に、荒ぶる魄は海へ……獣払い!』
「ひくひょー……ひゃんじまたぜ」
札を投げ飛ばしてからやっと身体はあたしのもんになった。なんだったんだ。まさか……いや、今はそれよりも。
満足に口許を押さえながら前を見れば突進していた獣はかなり開いた間合いで地面に後頭部を打ち付けていた。
「あ……今なら突き破れるかも。どうしてか結界がちょっと解れてる」
「まじか!」
時雨はすっと前両足をちょこんと揃えてその上に宝玉を出現させた。それがちょん、とあたしに触れたとき。
翼のはためく音が近く、背後から聞こえた。よし、今ならあいつも跳びかかってこれやしねえ。絶好の機会だ!
「おい、何処に向かって飛ん……!?」
この翼は上昇と下降しか出来ないんじゃなかったのか。何せっかくの命をほっぽりだして獣の方に!?
「あの獣が結界を形作ってるからだと思う」
「はっ? それとこれに、何の関係があるんだよ」
その仮説を立てるのなら結界が突然緩んだことにも説明がつく、と前置く時雨の耳が垂れていく。
「なんでお前が辛そうな顔するんだよ」
「……終わらせろってことなんじゃないかな」
「殺せ、じゃなくてか」
殺すことと終わらせることは違うよ、と言う声も地の底に沈んでいきそうなふうだ。こいつがへこむ理由は何なんだ?
「接近して、呪符が獣を弾いたときに違和感はあったの」
「どんな」
「魔力と法力が相殺したあと少しの間、法力同士のぶつかりあいがあった」
「わけわかんねえ」
相殺とぶつかりあいという言葉の僅かな違いも、それが示すものが何に繋がるのか。
今の現状もまったくわからない。
「あの獣の体内では多分魔力と法力がせめぎを削ってる。苦しんでるんだよ」
「確かに長いこと起きあがらないよな、あいつ」
「夕花、断ち切ってあげて。そしたら結界も消える、苦しみも……消えるから」
「あいつを死なせることになるんじゃないのか、それ」
あたしとしては、誰を殺すつもりも何かを壊すつもりもない。他の物の命を奪えるほど強固な意志なんてないしな。
「違う。絡んだ二本の糸をほどくだけ。一本だけじゃもう成り立たなかっただけ。……だから」
「納得いかねえ。あたしの手を汚れさせるんならもっとましなこと言えよ」
「穢れじゃないよ、これは。法師の夕花にしか出来る人はいない。私の力じゃ出来ない」
法師にしか出来ないこと。時雨になくて、あたしにあるもの。
相反する力、魔力と法力。穢れの対は……祓え、か?
「……だったら、やってやるよ」
この世界の仕組みなんてよく知らねえしこれから覚えようとも思っちゃいない。面倒が多そうだからな。
でも、これくらいの面倒は時雨に免じてやってやろうか。
ただの一撃で、もう息は浅く獣の瞳から生命の灯火が消えつつある。
『生まれ出るは深遠の沼、死に沈むは天道の宙。魂は高次に昇り魄は低次に下る。魂魄は相廻りまた出会う』
錫杖で空を切るかのように振り回す様は、何かの意味があるからやってるんだろうな。場を清める音を出すためにか。
『三元に繋がる世界で姿は変われど、波長は替えられぬ。存分にその心、漂わせるがよい』
また身体が勝手に動いてるのは変わりないが、違うのは心なしか半分は自分がやっているような気がすることだ。
他人に操られているような錯覚ではなく、考えるより先に身体が動くというのが事実だと今は受け入れられる。
止めようとすればあたしの意志ですぐに止めることは出来ただろう。だが、身体の動く通りにやらせておいた。
「……成仏しろよ」
ぽんと叩いたその皮膚に残っていた僅かな体温に、こいつも普通の生き物だったんだよな、と思えた。
獣は、動かない。沈黙が降りた。誰も、何も言わない。
さて、と。これで何時でも逃げる体制は整えられたわけだが。ただ逃げてもまた捕まるよな、きっと。
「どうやって上手く再逮捕を避けたもんか……」
「このまま翼で逃げればいいんじゃないの? 今の夕花、神の使いっぽいよ」
「おいおい天使って柄じゃねえぜ、あたしは」
それに天使っていうと女のほうは確かに翼生やしてるだけで神々しさを感じるのはわかるが。
今の格好、法師だぜ? 袈裟姿の天使なんて聞いた試しがない。あたしの定規で物事を測るなとは言われそうだが。
「……ま。再逮捕よりも今は脱出のほうが先決か。逃げ出さなきゃ逮捕劇は始まらないしな」
それじゃ、今度はちゃんと上昇してもらうぜ。……宝玉にも意志ってあるもんなんだな。
「裁判官! 獣は葬った、このまま私は我が身を神前に捧げる!」
高く高く、太陽を目指して処刑のコロッセオから抜け出した後も更なる上空を目指して飛翔した。
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